ヘブライ聖書と花祭 大洪水の記憶(2024年4月1話)
仲春4月(卯月)になりました…が、気温が夏のように暑くなったりして、体調を崩しそうです。
4月7日(日曜)
列王記 エリシャとバアル
復活祭から一週間が経ち、ヒジリお姉ちゃん達が通っている教会でも、新年度の礼拝が始まりました。午前中は「詩篇」23章や「ルカ福音書」24章などを読みました。
午後の教会カフェでは「列王記 下」6章を拝読しました。この「列王記」は『旧約聖書』(ヘブライ聖書)に収められている歴史書の一つで、ヘブライ人(ユダヤ人)が築いた王国の繁栄と分裂・滅亡の記録が書かれています。
今回、読んだ「列王記 下」には、紀元前9世紀後半のイスラエル王国(北イスラエル)と、そこで活躍した預言者エリシャについて記されています。当時、サマリアを首都としていたイスラエルは、シリアのアラム王国や、バアル(バール)神を崇拝するフェニキア人と対立していました。困難な国際情勢の中で、エリシャは「どうか、彼の目を開いて、見えるようにして下さい」(6章17節)と祈り、神と共にイスラエルを導いたと言い伝えられています。
人生の様々な試練を「悪魔」と呼ぶならば、それが私達をどのように試し、どう対処すべきか知るのが大切だという事を、私達は聖書から学ぶ事ができます。
今日は桜満開で、教会堂の外も賑わっています。
本門寺花祭 田山花袋と徳富蘆花の足跡
毎年4月8日(卯月八日)は、お釈迦様の誕生日である釈尊降誕会(潅仏会)です。明治以降の太陽暦では、この週が桜満開の時季と重なるため、お花見と結び付いて「花祭」と呼ばれています。
メグミさん達の郷土である東京大森(大田区)でも、各地で盛大な春祭が催されていました。
まずメグミさん達は、池上長栄山での「本門寺春祭」に参りました。寺院の奥にある本殿に参詣し、仏像に水を掛け、手を合わせて祈りました。
境内は、例大祭(御会式)や正月に次ぐ賑わいで、お馴染みの屋台出店も展開していました。
バターと塩、更に味噌やらマヨネーズやらが付け放題だからと言って、付け過ぎると後悔します…。
氷河時代(約12万年前)から悠久の歴史を持つ長栄山には、ほかにも色々な文化景観が広がっています。例えば、弥生時代中期~古墳時代後期の遺跡である堤方権現台古墳(永寿院)や、大和朝廷の神々(天照・応神・仁徳)を祀る堤方神社などが鎮座しています。
折角なので、池上長栄山の麓にあった「温泉料亭と文豪」の歴史を書いておきましょう。
1886(明治十九)年
東麓の北側(本門寺公園)にある池から鉱泉が湧き出し、温泉旅館(旧館)が開業。1895(明治二十八)年
温泉旅館の事業が拡大し、南側(めぐみ坂)に料亭(新館)が増設。以後、大正時代まで、この料亭は(芸者を連れ込み宴を催すなど)大繁盛し、田山花袋の『東京近郊』や徳富蘆花の『富士』など、文豪達も訪れ小説の舞台になる。
1929(昭和四)年
めぐみ坂の新館料亭が閉館し、跡地は大森めぐみ教会になる。1938(昭和十三)年
旧館温泉も閉館し、跡地は本門寺公園になる。
更に言うと、もっと昔…数千年前の縄文時代には、この辺りの池や河川(呑川)は、東京湾の海に繋がっていました。そして、この大洪水(急激な温暖化による海面上昇と異常気象災害)を生き延びた人々の子孫が、ヘブライ・アラム・アラブなどのセム系民族になった…という『旧約聖書』の伝説にも繋がってくるわけです。いやはや、歴史とは奥が深い。
では最後に、もう一つの春祭を見に行きましょう。
馬込文士村 桜祭
池上の北東にある馬込町の桜並木でも、盛大な「馬込文士村大桜祭」が開催されていました。こちらも満開の桜を仰ぎながら、舞踊や出店で賑わっていました。昨年の記事にも書いたように、この桜並木には、かつて内川という河川が流れていました。今も、地下の水路に流れているかも知れません。
こうして私達の春祭、そして花見の時季が無事に終わりました。
次回は、新年度を迎えた地域団体の活動などについて書く予定です!
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