8.6~平和ついて考える 核なき世界へ 平和&PEACE

DACの、のんちゃんです。今日は、僕の出身地でもある広島は『原爆の日』です。今日の日を一生忘れないために紹介しようと思います。皆さんも一緒に平和について考えましょう!そして核兵器を「もたず、つくらず、もちこませず」の世界になることを願って、思いを込めて、このブログを発信します。


これは、広島県民と、長崎県民にとっては、絶対に忘れてはいけない日がある。
それは、「原爆投下の日」である。
原爆投下は、僕たちが生まれる前の1945年8月に、起きました。アメリカが「原爆」という核兵器を作ったことで、起きました。
どうして日本に原爆が落とされたかというと、当時の日本がアメリカと戦争していて、早く戦争を終わらせたかったのが理由だったそうです。(ネット引用)
では、なぜ広島と、長崎に落とされたかというと、広島は東京や大阪と違って大きな空襲を受けていなかったのが、一つ目の理由。二つ目は、アメリカが作った核兵器(爆弾)の威力を試す場所の候補になっていたという理由だそうです。(ネット引用)
長崎は、最初は、原爆を落とされる予定ではなかったそうで、最初は、福岡県小倉市(現・北九州市)に原爆を落とす予定だったそうです。
では、なぜ長崎になったのかというと、当時の小倉市民が、原爆を落とされるのを回避しようと、上空に、もやがかかっているように見せたり、雨が降っているかのように見せ、天候が悪いことをアメリカ側に知らせて、回避したと言われています。僕は、この事は社会の授業で習った記憶があります。(一部ネット引用)
原爆が落とされた日は、広島は、8月6日の午前8時15分で、この日の広島は、晴天だったと言われています。長崎は、8月9日の午前11時2分に落とされたと言われています。落とされた後、人々は、放射線をものすごく浴びてしまって、多くの人が亡くなってしまったそうです。広島では約、14万人、長崎は約、7万4千人近くの人が亡くなったそうです。
これは、社会の授業で習った記憶のあることなんですが、放射線の影響で、雨が黒くなって「黒い雨」が降ったと言われています。
今でも、原爆の跡は残されています。それぞれの県に原爆資料館や、当時の跡が残されています。広島では、原爆ドームもあって、当時の悲惨さが分かります。

原爆で一人、有名な方がいます。それは、 佐々木禎子さんです。禎子さんは、2歳のときに被爆しました。その後も元気に過ごしていたんですが、小学校6年生の秋に調子を崩し、白血病と診断されて、回復を願い病室で、折り紙などを使ってずっと折り鶴を折っていましたが、昭和30年(1955年)10月25日に亡くなりました。今は、医療の発達が凄いですが、当時は、医療の発達がなかったことを思うと悲しくなります。(一部ネット引用)

今では学校で、平和学習をしたり、修学旅行などで、原爆ドーム、原爆資料館などを訪れに県外の学生や、外国人などがたくさん訪れています。
今でも、たくさんの千羽鶴が飾られています。
高校野球なども、「必勝」の意味を込め、千羽鶴をベンチに飾っていたり、勝った相手チームに、自分達の分も頑張ってほしいという意味も込めて渡したりしています。

カープも毎年、「ピースナイター」という試合を行って、平和を願ったり、野球ができる幸せを思って、試合を戦っています。
今でも、被爆者の人が核兵器廃絶を訴えて、毎年講演しています。
日本国民全員、僕の思いも被爆者の人たちと同じ、核兵器のない「平和」な日本です。

平和のシンボルの鳩も広島駅などいろんな所にいますよね〜!

みなさんもこの事を胸に刻んで、今の平和な世の中に感謝しながら、一日、一日を大事に過ごしましょう!
ぜひ、県外の方、みなさんも広島平和公園(原爆ドーム、原爆資料館)に行ってみて、原爆のことを学んで見たらいかがでしょうか!


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