【ネトゲ回顧録】Ultima Online 前編
皆さんはオンラインゲームというジャンルをご存じだろうか。
今時はインターネットを介さないゲームのほうが珍しいのだが、前世紀(~1999年)は事情が違った。
別に世紀末に恐怖の大王が降臨したなどではなく、ネット黎明期と呼ばれる時代だったのだ。
本記事では「回顧録」の名に恥じず、私のそう長くもなく、短くもないビミョーなお年頃な鳥生においての「ネトゲ」記憶を書き記そうと思う。
海外ゲーム最高! そんなオトシ頃
さて、舌の根も乾かぬうちにこの見出しである。
鳥頭だしね。仕方ないね。
まだツヤツヤの毛並みで珍獣ハンターに狙われていた頃の話。
逃げ回るがあまり、どこの集団にも属することができない私は独りぼっちだった。ぼちざのひとりちゃんと同じだね。やったね!
でも私はひとりちゃんみたいに可愛くないから陰キャにもなれず、無キャとして虚無っていた。
キョムリ。
その頃だろうか。
塾の帰りにある近くの電機販売店でのデモプレイにハマってしまったのは。
id Software社が開発した名作FPS「DOOM」その疑似3Dの世界は私を虜にした。
ネトゲの話じゃなかったのかって? HAHAHA、まだ慌てるような時間じゃあない。
ああ、今いいトシした鳥が湿気の帯びた笑顔でサムズアップしている姿を想像して絶望したのでまだ話しますね。
と、まあ。幼心ながらに海外のゲーム、DOOMクローンと呼ばれる作品を遊び出したのである。勿論、お金がなかったので体験版を、だが。
そして、ごくごく自然な流れでBlizzard Entertainment社の「DIABLO」を遊ぶことになった私はテレホーダイの戦士と化した。
だが、所詮ヤツは〇学生の中でも最弱……英語未履修で挑むゲームは困難を極めた。
当時は「インターネット」が一般に普及し始めた頃で、上記のサービスに加入していれば深夜から早朝にかけて使い放題だった。
若い人からすると「おおん? 昔もギガがあったんか?」と思うことだろう。
違います。メガの下……キロだったんです、最大56kbpsのアナログだったんです。嘘はついてないよ。
某阿部寛氏のホームページを開くのも大変そうだね。
さて、何か悪いもの拾い食いしたんじゃね疑惑をかけられる前にキャラ設定を戻そう。
ともあれ、今ではSNSをすることも難しい通信環境下で私はネットにハマった。
DIABLOのゲーム内容は割愛するが、同じゲームを遊ぶ仲間たちと拙いコミュニケーションを取り、休日前夜は夜遅くまで語り明かしたものだ。
だからといって、決して黒一色の世界に光明が差し込んだ訳ではないが、黒色も何千通りとあるものだなぁと思ったのだった。
知らんけど。
ブリタニアに転生したい件について
さて、ここからがようやく本題である。
ブリタニアといってもグレート・ブリテン島のことではない。
コードギアスのあの国でもない。
名作『ウルティマ』シリーズのプロデューサー、リチャード・ギャリオット氏らが制作した多人数同時参加型オンラインロールプレイングゲーム――MMORPGの始祖とも言われている。
DIABLOフレンドのLさん(仮名)とBさん(仮名)に一方的に懐いてた私も彼ら(または彼女ら)に誘われ、広大な仮想世界へと旅立つのだった。
――とはいえ、現代のように基本無料なゲームはほぼ存在しない平成の世。
『Ultima Online』をプレイするにはパッケージソフトの購入と月額数ドルの使用料を払う必要があった。
ソフトはお年玉で何とかなるとして、課金はクレジットカードが必要だ。
さて、どうやって説得したものだろうか。
数グラムの脳をフル回転させ、説得する方法を考えた。
色々考えて、考えて、かんがえて……最終的に直球勝負にでたあたり脳筋ぶりが窺える。
筋肉はパワーだよ。
父の説得は一波乱に及んだが成功した。
どういう思いであの人が折れてくれたのかは今となっては察するだけ苦しい。
その後、隣町のPCソフトショップへ幼鳥は器用に自転車を操り向かう。
私「これください!」
店員さん「えぇっ……」
厚手の上質紙で囲まれた英語のゲームソフト。
それを未成年が満面の笑みでレジカウンターまで持ってきたのだ。
店員さんは明らかに困惑していた。
本当に困っている表情を隠せないでいた。
しかし、ガラスのショーケースに飾られたトランペットに憧れていた少年のようにキラキラした瞳の私の魅力には敵わなかったのだろう。
店員さん「これ日本語じゃなくて英語だけだけど、大丈夫?」
私「勉強してます!」
店員さん「遊ぶのにクレジットカードが必要だけど、親御さんは?」
私「説得しました!」
そのようなやり取りを二、三しただけでレジを通してくれた。
『Ultima Online(以下、UO』は子どもながらに大きなパッケージだったように思う。
大事に咥え――もとい、リュックの中に入れ、信号待ちの時間にやきもきしながら自宅へと戻る。
27年前の記憶を正確に呼び覚ますには難しい。
家族の共有パソコンはFM-TOWNSのWindows95搭載デスクトップで、今とは違い横に長いケースだった。
今のように液晶画面が主流ではなくテレビもパソコン用ディスプレイもブラウン管が主流だったので、専用のデスクにあの大きな筐体が収まっていたあの場所が私の第二の居場所だった。
97年当時も使われていた物理メディアであるCD-ROMから自分専用のフォルダにインストールをし、はやる思いを抑えながらゲームを起動。
当時はSNSなどはなくメッセンジャーソフトでフレンドと連絡を取り、合流することにした。
ようこそ弱肉強食の世界へ!
私「英語だらけだけど、海外ゲームで鍛えたから多分ヨシ!」
事前情報ゼロでUOへ降り立った自分を落ち着けさせるように指差し確認を忘れない。
2Dグラフィックで表現されるトリンシックの街並みは綺麗だった。
軽快なBGMがデスクフレームに無理矢理付けたスピーカーから流れてくる。
フレンドから首都ブリテインは物騒なところだから気を付けろと言われてきたので、この街からスタートしたのは正解だったようだ。
人は首都に集中しているためか、少し離れたこの街にはPC(プレイヤーキャラクター)の人影が少ない。
治安が良いとは聞いていたが、それは母数の少なさ故のようだ。
待ち合わせの時間までまだ少し余裕があり、友人は外部ソフトではオフラインだったので街中を走り回って観光することにした。
現実にいたら完全にやべー奴である。
駄菓子菓子、とある出来事が起きた。
何か画面左下にシステムメッセージが表示され、走れなくなってしまったのだ。
この世界では移動するのにもスタミナを使うらしい。世知辛い。
チャットソフトを確認すると、ちょうど友人がオンラインになっていた。
私「走れないンゴー! 移動できないンゴォ!(現代文訳」
友「最初のうちはそう長く走れないんだよ」
フラグは回収されるものである。
別ウインドウで友人と話してる隙に一人のPCが忍び寄る。
彼(または彼女)は初心者もお構いなしにアイテムを盗み取る物盗りだった。
無一文となった私の運命や如何に。
ご愛読ありがとうございました。
雨月先生の次回作にご期待ください。
執筆・投稿 雨月サト
©DIGITAL butter/EUREKA project
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