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彩りを連れて 十六

「ただいま」

「おかえりなさい」

 お母さんがにこやかに私を迎えてくれる。そのことに少し安堵したけれど、緊張で早まる鼓動は抑えられそうになかった。

「あのね、お母さん。話したいことがあるの」

「何かしら?」

 お母さんはここでパッと話せることだと思ったのだろう。私の言葉を待っている。

「……ちゃんと話したいことだから、席について話そう」

「……そう。分かったわ」

 この時点でお母さんは、私が何か大事なことを話そうとしていると察しているだろう。今までお母さんに改まって話したいことがある、なんて言ってこなかったから。疑問には思っていても訝しんでいる様子はなくて少しホッとする。

 玄関からリビングまでなんてそれほど距離はなくて、私たちはもう向かい合って座っていた。

 私がなかなか話し始めなかったせいだろう。

「それで、どうしたの?」

 お母さんの方から聞いてきた。

 胸が早鐘のように鳴る。お母さんと話すだけ。そう頭では分かっているけれど、期待と不安が混ざり合って最初の一歩が踏み出せない。

「あの、ね」

 口からまず出たのはそんな意味のない音だった。言いづらいことを言おうとしていると分かったのだろう。お母さんが真剣にこちらを見ている。

 その目を信頼したくて、言葉を振り絞った。

「私、友達と勉強会したいんだけど、いいかな?」

 みんなと話し合って出した答え。初めから遊園地に行きたいと言っても断られるだろうから、最初は勉強会という名目にして、友達の存在を認めてもらおう。そう結論が出た時には、それが間違いないアイデアのように思えた。

 けれど。

「真緒にメリットはあるの?」

 少しの沈黙の後に、お母さんはそう言った。

「メリットは、あるよ。私だって勉強ができるし、分からないところは教えてもらえるし……」

「お母さんはね、真緒が他の子たちに教えるのに時間を取られてしまうんじゃないかって心配なの」

『お母さんはどうしてそう私を一人にさせたがるの?』

 ……そんなこと言えないけれど。

 私が言葉を返せないでいる間にお母さんは続ける。

「真緒は優しいでしょう? それにとっても頭が良いわ。周りの子たちに分からないところがあるって言われたら、教えてあげるに決まってる。でもそれで自分の勉強時間が削られてしまうなら、真緒が勉強会に参加するメリットってあるのかしら?」

 お母さんは、友達と楽しく過ごせる時間をメリットだとは思わないのだろうか。この調子だと、思わないのだろう。むしろ“友達”は私の勉強の邪魔をするとまで思っている。

「友達に勉強を教える事は、自分の勉強時間が削れる事にはならないよ。私も復習になるし、それに人に教えるのは良い勉強になるって言うでしょ?」

 お母さんはそこで言葉を詰まらせた。

 お母さんは、あくまで私のことを心配している、というスタンスを取る。だから、自分の考えを直接押し付けるような言い方はあまりしない。それに、今提案しているのは勉強会だ。友達をあからさまに責め立てることもしにくいだろう。

「今度の木曜日の放課後に、学校に残ってみんなで勉強会したいんだ。帰りは遅くなっちゃうけど、勉強はいつも以上にするから」

「……そう」

 お母さんは目を伏せて、一応は了承してくれたみたいだった。

「何時くらいに帰ることになりそうなの?」

「十八時半過ぎくらいかな。学校に居られるのが十八時までだから」

「……最後まで学校に残ろうとしているの?」

「……うん」

 そこでお母さんは黙ってしまった。なんとか私を早く帰す方法を探しているみたいに。

「真緒のお友達は、そんなに残っていて大丈夫なの? 親御さんが心配しないかしら」

「みんなは大丈夫だよ。部活がある時はいつもその時間に帰ってるから」

「……そう。ねぇ、真緒。あなたのお友達はどんな人なのか聞かせてくれない?」

 お母さんは、笑顔を浮かべている。けれど、品定めするような目を隠しきれていない。……でも、みんなのことを話すなら、きっと大丈夫。

「みんな優しいよ。最初は羨ましいなって見てたのに、気が付いたら輪の中に入ってた。文化祭もみんなのおかげで楽しく過ごせたし、その後も昼ごはんを一緒に食べてくれる。みんな面白い子だよ」

「そう。素敵なお友達なのね」

 セリフとしてはそう言って、お母さんは言葉を続けた。

「その素敵なお友達は、真緒とずっと一緒にいてくれるかしら?」

 どうして笑みを浮かべたままそんなことが言えるのか、私には分からなかった。

「ねぇ、真緒。あなたは今、高校二年生よね? もうじき受験生になって、そしたら勉強にかかりきりになるわ。お友達も一緒。周りを見ている余裕なんてあるの? その子たちがあなたと同じ学校に行ってくれる?」

「それはっ……」

 みんなが同じ学校に行くことは、正直ないと思う。みんなはそれぞれやりたいことが決まっていて、今のところ志望校は違う。将来、私たちがずっと友達でいられるかどうかは、分からない。

「思い出を作った分だけ辛くなるだけよ。でも努力はあなたを裏切らないわ。分かるでしょう?」

 あぁ、嫌だ。

 お母さんが本気で分かってくれると思ってそう言っていると、分かる。それに実際、お母さんが何を言いたいのかも分かる。

 分かるけれど、納得できない。思い出を作った分だけ辛くなるなんて、そしたらもう誰とも関われない。それに、あの楽しい思い出が、みんなの存在が、意味のないものみたいに言われているのが、嫌だ。

 でも、それよりも、何よりも、私がそれをお母さんに言えないのが、嫌だ。


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