動揺と存在と、こねくり回して一周したらエウレカな話になった。
日々レッスン・・・・
『奇跡のコース』6日目
私が動揺しているのは、そこに存在していないものをみているからです。
I'm upset because I see something that is not there.
私がPCとスマフォの不調にイラついているのは、そこに存在しないものをみているからです。(先ほどサポートにtel、そして解決せず・・・)
私が体調不良気味でどよんとしているのは、そこに存在しないものを見ているからです。
猫の粗相に怒っているのは、そこに存在しないものを見ているからです。
うまくやれないかもしれないという不安は、そこに存在しないものを見ているからです。
存在していないものに動揺するとは・・・
どんな感じだろうか?
映画とかを見て、その内容に一喜一憂することと同じだろうか?
私は結構、するんだよな・・・
登場人物に感情移入して一喜一憂したり・・・
それが苦しくて昔はとくにドラマとか見なかったし・・・
未だに、小説やアニメでめちゃくちゃ揺さぶられる・・・・
”リアルじゃないもの”と分かっていても、揺さぶられるよね。
ってことはさ・・・、”リアルと思っているリアルじゃないもの”=現実(と思っているもの)に揺さぶられるのって当たり前すぎるよね・・・
さって、これまたどうしたものか・・・・
存在しないものを、あたかも存在するがごとく創り上げて一喜一憂する・・・
映画とかにおいても動揺するし、見終わったあとにまで引きずることがあるということは、もはやすべて『記憶』の出来事よなー。
あれよかったな〜といってほわ〜っとなるのも、
あれは苦しい・・・といってうぐぐーとなるのも、
どちらも、頭の中での出来事。
頭の中の出来事も、体や世界や宇宙同様、存在していない。
そっか・・・
どのみち、すべてが存在していないものだから、動揺するの、か。か?
そしてエゴさんは嫌な気持ちに引き止めることで、分離の世界がリアルだと思わせたいから、うぐぐ〜〜っとなる記憶を繰り返しレプレイするのか、なー。
『奇跡のコース』を教えられている方かな?の言葉で印象的だったことがある。
「『愛』はこの世界には存在しない!」
愛は二極すらありえない、全ての可能性をない方する、でも完璧なもの。神そのもの。魂の源そのもの。
だから、そこから「分離してつくられた、この世界」には、愛は存在しようもないということなのだろうな、っと。
え〜〜〜?!って思ったけど、あ〜〜〜〜そうかも〜〜〜ってなったわ。
この世界で言われている「愛」は結局「憎しみの対義語」だったりなんだろうなあ。ONENESSのところが愛だよ〜って知識として分かっていても、きっとちがうんだろうなあ。
まあ、こんなことをこねくり回しても、存在していない「頭」でこねくり回したって、解決に至るわけはないわな〜。あははー。
んーーーでもさ。
存在すらしていないなら、動揺すら本来できないよね。
って思うと。
あれ???なんでそんなことで動揺していたんだろう??ってなったわ。
あれ???だって、何も起こってないんじゃん????
あれ、あれあれれ??
これぞエウレカ?!