天正遣欧使節団の足跡を追って(ヴィチェンツァ)

現在、ベネチアからパドヴァまで約30㎞、パドヴァからヴィチェンツァまでも大体30㎞離れている。この間は車で30分あれば十分な距離なので、できる限り立ち寄ってほしい町です。
遣欧使節団の宿泊先はたいていイエズス会の学院の寄宿舎だったことは記録にも残っているので、現在でも町のイエズス会を訪ねればよいのだが、このヴィチェンツァには彼らが立ち寄って大歓迎を受けた模様の壁画が何とベンチアのサンジョルジョ・マドーレ教会をたてた紹介をしたアンドレア・パラーディオの設計になるテアトロ・オリンピコの観客席へ行くいくつかの小部屋の上に掲げられています。

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テアトロ・オリンピコの舞台上にローマ時代の館が現出されているユニークな劇場。
(上下ともにWikimedeaより)

テアトロ・オリンピコの見学のために立ち寄ることもさることながら、16世紀に4人の日本人の足跡を確認する意味でも大変貴重です。
また、その壁画の真下には使節団より約100年後にゲーテが訪れていることが記されている。イタリア紀行が記された旅行の足跡を確認できる意味でも立ち寄る意味は大きいと思います。

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現在、ベネチアからパドヴァまで約30㎞、パドヴァからヴィチェンツァまでも大体30㎞離れている。この間は車で30分あれば十分な距離なので、できる限り立ち寄ってほしい町です。
遣欧使節団の宿泊先はたいていイエズス会の学院の寄宿舎だったことは記録にも残っているので、現在でも町のイエズス会を訪ねればよいのだが、このヴィチェンツァには彼らが立ち寄って大歓迎を受けた模様の壁画が何とベンチアのサンジョルジョ・マドーレ教会をたてた紹介をしたアンドレア・パラーディオの設計になるテアトロ・オリンピコの観客席へ行くいくつかの小部屋の上に掲げられています。

テアトロ・オリンピコの舞台上にローマ時代の館が現出されているユニークな劇場。
(上下ともにWikimedeaより)

テアトロ・オリンピコの見学のために立ち寄ることもさることながら、16世紀に4人の日本人の足跡を確認する意味でも大変貴重です。
また、その壁画の真下には使節団より約100年後にゲーテが訪れていることが記されている。
イタリア紀行が記された旅行の足跡を確認できる意味でも立ち寄る意味は大きいと思います。

縦1m、横2mの壁画。前列のとんがり帽子を被った3人が使節団一行。副士だった原マルチノはイエス生誕にベツレヘムでお参りした東方からの3博士の言い伝えにより、この歓迎会には
入っていなかったようだ。(Wikimedeaより)

町は、別名パラーディオの町と言われているのは、町並みを含めた建物を設計したのがパラーディオで、世界遺産に登録もされています。(下の写真はパラーディオが設計した町並みの一部です・・・Wikimedeaより)

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