芸術の都・モスクワ 代表の最たるものは、ボリショイ劇場のオペラ・バレエでしょう。 とりわけ、バレエの世界ではサンクトペテルブルグのマリインスキー劇場と 並び称される世界最高峰の劇場です。マリインスキーは宮廷を起源とし、皇族、貴族階級を 対象にした劇場でしたが、ボリショイは地元の公爵が開設して、裕福な商人階級に支持された 劇場でしたがロシア革命後、首都がモスクワに移されてから、マリインスキーのダンサーなどが モスクワに移り、ヨーロッパの劇場に比肩する劇場になりました。 特に、チ
ウグリッチを出て一つの水門をくぐり、しばらくすると、ヴォルガの本流との分岐があります。 船はモスクワ運河へと進み、モスクワ運河にある6つの水門をくぐることになります。 ヴォルガ本流と運河の高低を調整しながらロシアの首都に入ってゆくわけです。 モスクワの見どころもサンクトペテルブルグ同様、たくさんありますが、まずは、何と言っても クレムリンから始めないわけににはいきません。 クレムリンは要塞という意味の通り、かつて原型は12世紀にさかのぼります。 1366年にモスクワ大公ドミ
かつてはルビンスク貯水池からヤロスラブリを経て、もう一度、ルビンスク貯水池に 戻り、ヴォルガ河を南下してモスクワを目指しましたが、最近はヤロスラブリをパスして ルビンスク貯水池からモスクワを目指すルートが多くなりました。 今日は、そのモスクワに向かう運河に入る前のウグリッチをご紹介します。 ウグはロシア語で曲がるという意味とか・・・このウグリッチで西からの流れがほぼ直角に 曲がっているところからこの名がついたといわれています。 ウグリッチではたいていの場合、2時間ほどの観光に
ところで・・・クルーズをしているヴォルガ河について多くを語っていません。 今日、通過するヤロスラブリにゆくために、初めて、ヴォルガ河本流に入ります。 モスクワ北西、ちょうど、サンクトペテルブルグの間のヴァルダイ丘陵を水源として 全長3690㎞のヨーロッパ州最長の河です。 そのヴァルダイ丘陵から流れ出た河はルビンスク貯水池に注がれ、その貯水池から 再び流れ出す河がヴォルガ河本流となり、ヤロスラブリを通過して東へ東へと進み、 カザンで大きく南に進路を取り、レーニンが生まれたウリ
キジ島の見学を終えて、船に戻り、昼食をとりながらオネガ湖を南下してゆきます。 オネガ湖から運河に入り、ベロエ湖(白湖)まで行きます。ベロエ湖を縦断して 再び、運河に入り、翌日の昼頃にゴリツィーというところまで行きます。 ゴリツィー到着後に、キリロ・ベロゼルスキー修道院の見学をします。 まずはそのルートマップを掲載します。 キジ島を出て約24時間でゴリツィーという村に到着します。 昼食ろを取って、バスで8㎞ほどのところに、1397年ごろに造られた北部ロシア最大の キリロ・ベロ
キジ島のことを思う時、いつも、アメリカ映画”ジャイアンツ”のワンシーンと重なります。 西部はテキサスの大牧場主のジョーダン・ベネディクト(ロック・ハドソン)は東部から妻レズリー(エリザベステイラー)を娶り、テキサスに寝台列車で一緒に帰ってきます。 列車で目覚めたレズリーが窓を開けると、そこに、東部にはない広漠とした砂漠が広がっていました。 レズリーは驚嘆の声を上げて、夫、ジョーダンを起こすのでした・・・ 私が初めてキジ島に訪れた時の感じはまさにこのレズリーの驚嘆ぶりと同じでし
サンクトペテルブルグに2泊して、出航はたいてい夕飯(午後8時)のころになりますが、 サンクトペテルブルグの黄昏は夜の10時半ぐらいまでになります。 船内の案内は乗船した時にここがレストラン、ここが、昼はカフェ、夜はバーラウンジに などの説明を一通りします。そして、初日の夕飯時に船長が、船のお世話様係りのクルーを 紹介してくれます。この時には、各グループの通訳ガイドやドクター、朝の体操のコーチも 紹介されます。また、2,3日のうちに、各グループごと(言語別)に艦橋(操縦室、一般
サンクトペテルブルグの市内観光の中で、異彩を放っている建物が、血の上の教会。 何やら物騒な名前がついていますが、その名の通り、1881年3月13日、ロシア皇帝 アレクサンドル2世が暗殺され、1907年、最後の皇帝・ニコライ2世のときに、 暗殺された場所に建てられました。 その後起きたロシア革命、対独戦争等で破損しましたが、修復されて美しい教会になりました。 (Wikimedeaより) 教会内部はモザイク画で装飾されて目を見張るものがあります。 (Wikimedeaより)
昨日までサンクトペテルブルグで人気のある美術館や宮殿を紹介しました。 今日は、さらに一般観光でゆくサンクトペテルブルグの見どころのいくつかをご紹介します。 まず、サンクトペテルブルグの目抜き通りのネフスキー大通り。この通りはサンクトペテルブルグ 滞在中に幾度となく通るメインストリートです。 この通りも18世紀初頭、ピョートル1世の命によって作られた通りで、ストロガノフ宮殿、 ネオ・クラシック(新古典主義)のカザン大聖堂、アール・ヌーボー様式の本の家(ジンガー書店) また、18
サンクトペテルブルグから西30km弱のところに、バルト海に面したピョートル1世の夏の宮殿・ペテルゴフがあります。また、南25㎞にはピョートル1世の后、エカテリーナに因んだエカテリーナ宮殿があります。ともに、サンクトペテルブルグの歴史地区の一つとして世界遺産に登録されています。 ちょうど今頃から9月いっぱいまで、サンクトペテルブルグの観光のメッカになります。 まずは、夏の宮殿から‥ (夏の宮殿と前に広がる噴水庭園がバルト海まで続きます・・・Wikimedeaより) 夏の宮殿は
1924年から1991年まではソビエト連邦建国の父レーニンの名前をとってレニングラードと呼ばれていたサンクトペテルブルグの主な見どころは、エルミタージュ美術館を中心にした市内と郊外の夏の宮殿、エカテリーナ宮殿に分けられます。 まずは、エルミタージュ美術館からご紹介しましょう。 かつて、ロマノフ王朝時代の冬宮が前身のエルミタージュ美術館は18世紀中ごろにエカテリーナ2世がヨーロッパからの美術品を買い集め、1917年のロシア革命以後は貴族たちからの没収品が夥しい数で集まりました
今日からは、すでに、夏の風物詩と呼ばれるヴォルガ河クルーズについて綴ります。 バルト海に面したサンクトペテルブルグから南のドン河が黒海に注がれる手前の三角州にできたロストフ・ダ・ヌーまでヴォルガ河の本流をメインに下るコースをご紹介してゆきます。 まずは、サンクトペテルブルグからモスクワまでの1週間のクルーズにサンクトペテルブルグと モスクワが含まれたコースから・・・ 地図をご覧下さい。 成田または羽田から飛び立つ直行便はその日のうちにモスクワ、そして、サンクトペテルブルグ
エル・エスコリアに圧倒されたであろう使節団一行はマドリッドから港町アリカンテに向かうことになりますが、松田毅一さんの著書にも、若桑みどりさんの著書クワトロ・ラガツィにも詳細が乏しいので、今回はルートをもう一度、地図で確認しておきましょう。 まずは、アルカラから・・・ 正式な名前はアルカラ・デ・エレーナス。13世紀の大学が残り、それが世界遺産に指定されています。 アルカラの町並み・・・Wikimedeaより) 次に、地図には表示されていませんが、途中、ヴィリャレーホス・デ・
遣欧使節団はフェリペ2世の謁見を済ませ、いよいよ、パパ様のいらっしゃるローマに向かうことになりますが・・・スペイン王家の秀麗な修道院がマドリッドの北西45㎞のところについ2か月前に建設が終わり、3泊4日の日程でエル・エスコリアルの修道院に 出かけています。 修道院は宮殿、図書館など複動的な建物になっていて、反宗教改革の研究のセンターを担うためにフェリペ2世の命によってグアダラーマ山脈の山すそに作られました。 バスの駐車場から徒歩7,8分のところに修道院はあります。 (’
王宮、プラド美術館、ソフィア王妃芸術センターとマドリッドの見所をご案内してきましたが、もう一つ時間があったら寄ってほしい美術館に、ティッセン・ボルネミッサ美術館があります。 14世紀から近代までの作品に驚きます。 名前のティッセンはドイツの財閥ティッセン家。ボルミネッサはハンガリーの財閥。この両家がスペイン王家と関係が深く、両家のコレクションを展示しています。 イタリアのドゥッチョをはじめ、ヤン・ファン・エイク、デューラー、ホルバイン、ティツィアーノなど巨匠と呼ばれる歴代の画
昨日のプラド美術館に次いで、是非、立ち寄っていただきたいところは、ソフィア王妃芸術センターです。 (ソフィア王妃芸術センター・・・Wkimedeaより) ここにニューヨーク近代美術館から返還されたピカソの「ゲルニカ」があることが最大の理由です。 (朝日新聞社 週刊世界の美術から転載) 上記の解説をお読みいただければ、概要がわかるかと思いますが、若干のご紹介をしておきます。 ピカソはパリの万博のメイン会場に飾る大きな絵を依頼されました。何を表現しようかと悩んでいた時に、ス