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アルゼンチンと逆「価格革命」


アルゼンチンは「銀の国」、逆「価格革命」が起こるのか?

 新たな大統領のハビエル・ミレイ氏の当選が注目を集めているアルゼンチンだが、この国の名前は「銀の国」というような意味である。銀は元素記号Ag、ラテン語ではargentumといい、Argentinaはargentumに女性形指小詞-inaという語尾を付けた形である。
 彼はハイパーインフレ抑制のために中央銀行を廃止し米ドルを通貨にするなどと過激な経済政策を打ち出すとともに、反ウォーキズムや反社会主義を全面的に表明しており、概ねアメリカの右派勢力からは好意的に迎えられているようである。

 アルゼンチンと銀ということで思い起こされるのは、あらゆる世界史の教科書に必ず書かれている「価格革命」である。以下、ウィキペディアの解説を引用する。

価格革命とは、16世紀半ば以降、メキシコペルーボリビアなどアメリカ大陸(「新大陸」)から大量の貴金属(おもに)が流入したことや、かつては緩やかな結びつきであったヨーロッパ等各地の商業圏が結びついたこと(商業革命)で需要が大幅に拡大されたことで、全ヨーロッパの銀価が下落し、大幅な物価上昇(インフレーション)がみられた現象をさす。

これにより、16世紀の西ヨーロッパは資本家的な企業経営にとってはきわめて有利な状況がうまれて、好況に沸き、商工業のいっそうの発展がもたらされたが、反面、固定した地代収入に依存し、何世代にもおよぶ長期契約で土地を貸し出す伝統を有していた諸侯騎士などの封建領主層にはまったく不利な状況となって、領主のいっそうの没落を加速した。それに対し、東ヨーロッパでは、西ヨーロッパの拡大する穀物需要に応えるために、かえって農奴制が強化され農場領主制と呼ばれる経営形態が進展した。

また、それまでの銀の主産地だった南ドイツの銀山を独占していた大富豪フッガー家北イタリアの大商業資本の没落をもたらした。

学問への影響としては、当時、スペインサラマンカ大学を中心に活動していた16世紀サラマンカ学派の神学者アスピルクエタセリョリゴは、新大陸からの金銀流入と物価上昇を結びつけて捉え、今日でいう「貨幣数量説」に到達したことから、近代的経済学の先駆をなしたといわれる。

一方で、17世紀には銀流入は増えていながら価格上昇が停止することになっており、価格革命の要因全てを銀流入に当てはめるのは無理がある。川北稔は、価格革命の要因を16世紀西欧における人口急増に求めている[1]

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BE%A1%E6%A0%BC%E9%9D%A9%E5%91%BD

 これを、ざっくりと今日の状況と比較してみよう。

・インフレは進行している。
・人口増には歯止めをかける要因が多く存在している。
・銀の需要は供給を大きく上回っている。
・不換紙幣が世界の基軸通貨となっている。

 銀の需要に関しては、シルバー・インスティテュートによれば2021年から需要が供給を上回る状態が続いている。さらに2014年からの数値を丁寧にみると、供給は採掘量が概ね8~9億オンスで横ばいなのに対し、需要のほうは工業需要が4億4,400万オンス(2014年)から5億7,600万オンス(2023年)と、30%増加している。これは主にEVと太陽光パネルに用いられる。

https://www.silverinstitute.org/silver-supply-demand/

 16世紀の価格革命は銀の供給過多と人口増によって銀=貨幣価値の下落=インフレが進んだというもの(当時は銀が通貨なので)だが、今度はその逆が起こるということではないか?つまり、銀は需要過多となり、人口は減っていく。不換紙幣の側から見ればインフレということになるが、銀貨の価値が上がっていくということは、金を中心としたコモディティ本位制のもとではデフレということになる。

 先日の米中首脳会談で、両国は気候変動に対しては協力して取り組んでいくということが確認された。これは工業の言語に翻訳すれば、EVと太陽光パネルをたくさん作るということだ。それには銀が必要になる。

中国は、地球の大気化学と気候システムにおいて重要な役割を果たす炭化水素であるメタンを、2035年の温室効果ガス削減目標リストに追加する予定である。ケリー氏は、「それは重要なことだ。なぜなら、それは時事的なメタンを意味するからである」と述べ、中国の協力を歓迎した。オゾン、亜酸化窒素 -- 有害であるにもかかわらず、これまで注目されてこなかったもの」がプログラムの一部です。

謝氏との合意に達した直後に行われたインタビューで、ケリー氏は記者団に対し、「彼らは誠意を持ってそうした。『我々は真剣だ。これをやるつもりだ』と言うためだ」と語った。米国と中国はメタンガス排出削減策を打ち出すための作業部会を設置する。

ケリー氏は、11月下旬にアラブ首長国連邦(UAE)で始まる予定の国連気候変動協議の次期COP28で、米国と中国はこの問題に対処するために協調して行動するだろうと述べた。世界の2大気候汚染国とUAEは、メタン排出に対処する緊急の必要性について世界的な認識を高めるための枠組みを創設する。

https://asia.nikkei.com/Spotlight/Environment/Climate-Change/U.S.-and-China-will-team-up-to-cut-methane-emissions-says-Kerry

ミレイ氏は世界経済フォーラムの人

  ちなみにミレイ氏は世界経済フォーラムのヤング・グローバル・リーダーであるらしい。この件について触れていたのはペペ・エスコバールと日本のいくつかの書き手だけで、アメリカ右派の投稿をざっと見た限りでは触れられていないようだった。

BRICS加盟は遠のく

 ミレイ氏はブラジル・中国との関係断絶やロシア敵視も標榜しており、BRICSにアルゼンチンが加盟する日は遠のいた。しかし実際にはアルゼンチンは中国と180億米ドルの通貨スワップ枠を持っていたり、アルゼンチンの大豆・食肉の多くは中国向けに輸出されていて、中国からもアルゼンチンのリチウム産業に投資が行われている。彼が耳目を集めているほど急進的な政策が実際に実行に移されるかどうかはまだ不明だ。というか政治家が誰であれ計画に沿って行われるだけなので、表に出てきているのが誰かをベースに考えてもあまり意味はないように思う。ミレイ氏がWEFで反BRICSというのも両建て構造の中の話であって驚くに値するものではない。とはいえ、多少は近代的なイデオロギー構造の中での所見を書いておくことも無駄ではないと思うので、以下に記しておく。

トランプの旗の意味

 トランプ氏がミレイ氏の当選を祝福したTruth Socialの投稿には、下記の画像が添付されていた。このDON'T TREAD ON MEという旗は「ガスデンの旗」と呼ばれる、リバタリアニズムのシンボルとなっている旗らしい。1775年、独立戦争のさなかにクリストファー・ガズデンによってデザインされたためそう呼ばれている。「DON'T TREAD ON ME 私を踏みつけないで」というのは「私の自由を制約しないで」という意味で、政府の介入や社会保障を徹底的に毛嫌いするリバタリアンたちの標語となっている。

究極のリバタリアニズムの実験か

 WEFのメンバーであり、リバタリアニズムの旗を掲げ、中央銀行の廃止や社会保障の廃止などを掲げているという事実などから推察するに、最も考えられるシナリオとしてはアルゼンチンが究極のリバタリアニズムの実験場となることだろう。ハイパーインフレによって既存の通貨を破壊し、ブロックチェーンを用いた通貨技術で経済活動をすべて監視しようとする試みがなされるのかもしれない(失敗に終わる公算が大きいが)。

 リバタリアニズムの古典とされる作品に、アイン・ランドの『肩をすくめるアトラス』というものがある。かなり長い作品で、実のところ私も半分くらいしか読んでないのだが、とてもわかりやすいあらすじの要約があったので掲載する。

社会善と利他主義を旗頭にしてアメリカを社会主義化、共産主義化しようとする政府を、偉大なる賢人たち(発明家、鉱業家、商人、創造のための破壊をする人、組織を運営する人など)がリーダーとなり、それに真っ向から歯向かう。そして、知的活動を担う人々のサボダージュを引き起こすことによって政府を倒し、それまで社会主義化を支持(暗黙の了解も含めて)してきた一般の人たちを「改心」させるというのが筋書きである。

https://diamond.jp/articles/-/277334

 コロナ前にアイン・ランドを読んだときはわかったようなわからないような釈然としない感じだったが、今これを読むとアメリカの実際の政治史の要約あるいは予測プログラミングに基づく筋書きともなっているようにも見える。というか今回のアルゼンチンの大統領選そのものだ。

 作者のアイン・ランドは本名をアリーサ・ジノヴィエヴナ・ローゼンバウムといい、1905年にロシアで生まれた。父は薬局を経営していたがロシア革命に伴って事業を没収され、その後アメリカに渡ったという来歴を持つので、こういう思想になるのだろう。『肩をすくめるアトラス』のストーリーはいわばエリートによる大衆への復讐物語といったようなもので、日本的な感覚ではなかなか理解しがたいところがある(私はちょっとわかる気がする)。

 ウィキペディアにも次のように書かれている。

ランドがこの小説を執筆した目的は、彼女によれば「この世界が主導者たち(prime movers)をどれほど必要としており、かつこの世界が彼らをどれほど酷く扱っているかを示す」ことであり「もし彼らがいなくなったら世界はどうなってしまうのか」を描くことであった[10]

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%82%A9%E3%82%92%E3%81%99%E3%81%8F%E3%82%81%E3%82%8B%E3%82%A2%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%B9

 リバタリアニズムの実態が、究極のエリート主義でむしろ全体主義につながるものだということがよくわかるだろう。結局のところエリートを自任する人々が、「俺らがいないと大変なことになっちゃうぞ!」とふてくされるような話で、アメリカではこれが聖書の次に読まれているというのだからやはりなんとも病弊の深い国である。

 とはいえ日本でのほほんと暮らす分にはある意味どうでもいい話で、あまり極端な方向に振れないという意味では植民地としてのんきにうだうだやっている日本という国もあながち悪いものではないのかもしれない。

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