見出し画像

慶応法学部も知らない善の話

 前々回の記事では、呉越同舟など春秋戦国時代の呉と越の争いに由来する故事成語について書いた。

 その中で夫差は伍子胥に自刃を命じたのち、その遺体を鴟夷しいと呼ばれる獣皮に包んで大江に投げ捨てたこと、呉を滅ぼしたのちに越の功臣・范蠡は鴟夷子皮しいしひと改名し斉に逃れ、商人として財を成したことを書いた。この鴟夷とは馬の皮袋だといわれているが、それが用いられているのは一体なぜなのか。

 それを知るためには、まず古代の裁判について知っておく必要がある。自由意思に基づく自発的な行為の結果の責任は自ら引き受けるべきであるという近代的な刑法秩序の論理とは異なり、古代における裁判は個人の意思などではなく神の意思を知ろうとするものであった。我が国においてよく知られた古代の裁判形態として盟神探湯くかたちがある。これは原告と被告がともに熱湯の中に手を入れて、火傷を負わなかったほうが神の意思を代表しているものとして無罪になるというものである。壺の中に蛇を入れて、そこに手を入れて噛まれるかどうかを試すといった形式のものもある(蛇神判)。

 なかでも正当とされたのは羊神判であった。羊を犠牲として供えたもとで行われる神判である。犠牲の「犠」の旁の義は、羊に我を加えた形であるが、我はのこぎりの刃物の象形で、「われ」の意味は自分を表す言葉の発音が「我」に通じたのでこの字が当てられた、いわゆる仮借である。つまり義は羊を犠牲に供するためにのこぎりを加えた形で、その肉に欠陥がなく神意に適っていることを「義」という。したがってただしいとか道理に適っているという意味になる。神に仕える人の様子を儀という。牛を加えた犠はとくに犠牲の意を表すためにのち分化したものであろう。美も供された羊の大なることをいう。

 「善」は、初文は羊に言を二つ書いた形に作る。

「善」初文

 供え物の羊に、原告と被告がそれぞれ言い分をさいにいれて供える形を表す。ここから神意に適った様子を善というようになったわけである。

「善」篆文

 両当事者の言い分や証拠として提出する物品などは、ふくろ(東)に入れて並べる。その様子が㯥で、これに曰を加えたものが曹の初文であるので、法曹という。曰はさいの蓋をあけて中をのぞき見ること。

 善や義に見える字は羊だが、実際には羊とは若干異なる解廌かいたいと呼ばれる動物であったらしい。

「廌」篆文

 この廌を犠牲に捧げて裁判を行う。裁判に勝った方は、廌の胸部に心字を刻んで祝ったので、これを「慶」という。勝訴のことなので、慶賀の意となる。

「慶」篆文

 反対に敗訴した側の口の蓋は虚偽として取り去られ、廌は水に流し去る。廌に氵と去をつけた灋は、「法」の初文である。

「法」篆文

 敗訴という穢れも獣皮とともに流すことで祓除できるという観念があったようで、我が国の大祓や禊にも通じるものがある。伍子胥は怨恨を抱いて自害したので当然怨霊となるし、范蠡は仕えた君主のもとを去るのはある意味裏切りにも近い行為である。このほかには孔子が世話になった人の家の門に鴟夷を立てて去ったという話もあり、鴟夷は怨恨や不義理を浄化する働きがあると見られていたのであろう。


いいなと思ったら応援しよう!