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羊たちの群れと、暴走する貨幣

今回からは「群れの暴走と投機の快楽」というテーマで、しばらく書いていこうと思います。基本的には1回読みきりですが、これまで通り連続のものとして読んでいただいても、ひと続きの読み物にはなるようにしています。
2024年は年末の日経平均株価としては35年ぶりに記録を更新する高値でおえました。いつかくる暴落のリスクを感じながら、2025年がはじまります。それは繰り返されてきた〝群れの暴走〟でもあります。


古代ローマの美食家アピキウス・マルクス・ガヴィウスは、小ぶりの脳を好んで食べた。
アピキウスが残した『料理帖』(De re coquinaria)に記されたレシピには、セレベッラ(cerebella)というラテン語がつかわれている。「小脳」という単語の複数形だ。すでに解剖学が一定の発達をとげていたが、料理についていえば小脳ではなく比較的小さな動物の脳と解釈するのが自然だろう。つまり豚や兎(ルビ:うさぎ)、羊、仔牛といった動物の脳味噌をさしていて、これらを料理につかったと思われる。脳味噌を食べるというのは、いまでもイタリア料理やフランス料理ではけっしてめずらしくはない。

『料理帖』はアピキウスの死後に編纂されたもので、世界最古の料理本ともいわれる。ここにはじつに多くの食材が登場する。なかでも、古代ローマの人々がもっとも好んだ肉は豚だった。豚のもつ旺盛な繁殖力は大きな魅力であり、その淡白な味はさまざまな料理につかうことができる。とりわけこどもを産んでいない雌豚の外陰部と乳房は珍味とされた。牛も食べなくはなかったが、おもに農耕用だったために肉が硬かった。このほか野生のイノシシやウサギなど、かなり多様な肉が食卓にのぼった。

古代ローマに見る家畜と貨幣に秘密

食卓のみならず古代ローマ人の暮らしには、すでに多くの動物たちが深いかかわりをもっていた。彼らは番犬や狩猟犬を所有し、鳴き声を愉しむための鳥も飼っていた。異国からもちこまれた猫は鼠をとる役目をにない、エキゾチックな小動物として人々に愛された。鵞鳥(がちょう)の肥育もおこなわれ、フォアグラは当時からご馳走とされた。もちろん羊も家畜として飼われ、その肉を食べ、そのミルクを飲んだ。羊毛は衣服となり、羊皮は装身具や盾あるいは紙となった。

ラテン語には、「貨幣」を意味するペクーニア(pecunia)という言葉がある。「財産」はペクリウム(peculium)という。これらは「家畜」を意味するぺク(pecu)から派生しているといわれる。
ここでいう財産は、奴隷たちが決められた仕事以外の労働をしたとき、特別にあたえられた報酬をさしている。こういう場合、通常は貨幣ではなく、家畜があたえられた。遠いむかしには pecuとは羊をさしたが、やがて家畜全体に広がっていったとされる。さらにいえば、この財産(peculium)という言葉が示していたのは、家のなかで従属的な立場にある女性やこどもの所有物のことだった。これらには家長の権限がおよばない。いわば非正当な所有物を意味していたのである。

この流れにしたがえば、家畜から貨幣が派生したのではなく、貨幣の役割を家畜が代替していたことになる。どこかで価値体系の転倒が起きたのだろう。というより、貨幣は存在していても、まだまだ貨幣経済が浸透するまでには長い時間を必要とした時代のことである。いずれにしても、交換価値のある商品として貨幣や家畜が設定されていたのはたしかだ。
貨幣をあらわすペクーニア(pecunia)という言葉も、ぺク=家畜と深い関連をもつ。貨幣流通が一般的ではなかっただけに、貨幣そのものが非合法的なニュアンスをふくんでいたのかもしれない。言葉の生成には、人々がモノやコトをどう認識していたかが、見え隠れする。

家畜が財産を意味していたということは、その数の多寡は資本の大きさをあらわしていた。キャピタル(capital)という言葉は「資本」とともに「首都」をさす。語源はラテン語のカプート(caput)で、もとは「頭」という意味だったが、しだいに「もっとも重要なもの」をさすようになった。頭といっても、家畜の頭のことである。家畜=pecuが貨幣につながり、その頭数をあらわす頭=caputが資本になったわけである。

資本としての家畜はたんに保有資産であるばかりでなく、こどもを産むことによって自己増殖していく。これもまた資本の原初的イメージとして、その本質を突いている。古代ローマ人は家畜の所有や交換、贈与をとおして、おそらくは貨幣や資本の本質をかなり理解していたのだろう。

羊の群れのように資本は流れる

たとえば羊の群れには、ボスがいない。群れを統率して一定方向に導く個体は存在せず、上下関係もない。では、どうやって群れとして集団行動をとるのか。これは、ある一頭が危険を感じるなどして刺激に反応すると、たちまちそれが他の羊たちに伝播する。一頭がからだを震わせ、走りはじめようとすると、その動きは群れ全体に広がり、ひとつの意志をもっているかのように一定方向への運動となってあらわれるのである。まるで株価や為替の値動きを見ているようではないか。

群れ全体がひとつの身体であり、中枢神経がないまま行動する末梢神経の塊のようなものだ。これはきわめて注目に値する習性だ。エッジ・コンピューティングによって大量の情報を高速処理する時代にあって、小さな触角の重要さにあらためて気づかされるからだ。巨大なシステムの暴走は、往々にして末端のマシンの奇妙な動きからはじまる。

羊たちにとって群れでいることは安全であり、単独行動は危険を意味する。羊飼いはその習性を熟知し、牧羊犬をつかって群れをあやつってきた。試しに羊を1頭だけ群れからひき離すと、たちまちパニック状態におちいり、その行動は予測できなくなってしまう。毎日かよっている道でさえ、1頭だけだと方向感覚を失い、迷子になってしまうのだ。

「1頭の羊よりも、100頭の羊をつかまえるほうがたやすい」
羊飼いたちのあいだで語られるこの言葉は、貨幣にもいえるだろう。群れであることを好むのは、羊にも貨幣にも共通した性格だ。
かつてこの群れは共同体のなかでゆったりと草を食んでいたが、やがて投資というかたちをとって、ゆるやかに動きはじめる。いつしかそれは、すさまじい速度で移動するようになり、羊飼いのコントロールから離れていく。牧羊犬に追われて移動していた群れは、もはや犬さえおそれず、移動のたびにおびただしい勢いで自己増殖をはじめることになった。投資は投機の様相を呈し、その移動や増殖は制御できなくなってしまうのである。

1997年を端緒とするアジア通貨危機は、まさにその典型といえるだろう。
はじまりは、その年の夏に起こったタイの通貨バーツの暴落だった。これには伏線がある。1980年代から90年代にかけて東南アジアはいちじるしい経済成長をとげ、欧米や日本の企業にとって魅力的な投資先となった。
なかでもタイは1987年から91年にかけて、年率8%を超える成長をつづけていた。1993年にはオフショア市場を開設し、グローバルな資本をとりこんでいく。海外とリンクしたタイの金融市場は急拡大し、そのことで潜在的な不安定要素をかかえこむことになった。許容量以上の水を溜めこんでしまったダムと同じだ。そのダムが決壊しはじめたのが、1997年7月だった。外国為替市場で、投機筋が大量のバーツ売りをしかけたのである。

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Enma Note
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