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マドンナへとつながる欲望の系譜

増殖のメカニズムにふれる

1990年、マドンナがその鍛えぬかれたからだにジャン=ポール・ゴルティエのデザインした尖ったコーン型のブラジャーをつけて、パリ・コンサートの会場に登場した。古くさい乳房信仰を打ち壊すようなパフォーマンスだった。タマラ・ド・レンピッカが亡くなってから、ちょうど10年後のことだ。

たしかにマドンナの姿は、レンピッカの描いた青銅色の乳房を彷彿とさせた。じっさい、マドンナはレンピッカ作品の熱心な蒐集家であり、たびたびみずからの楽曲のPV(プロモーションビデオ)にその絵を登場させてきた。

同じ年、アルバムから先行発売された楽曲『ヴォーグ』のPVでは、モノクローム映像のなかにレンピッカの絵が象徴的に映しだされている。それにかぶせるようにして、マドンナをはじめダンサーたちのヴォーギングが披露された。

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