見出し画像

生贄の羊の捧げるように、資本主義の神に欲望を捧ぐ

神話があぶりだすもの

「すべては神話の性格を帯びている」
これは、人類学者クロード・レヴィ=ストロースの『大山猫の物語』のなかの言葉だ。ここには、科学と神話をまったく異なるものと考え、神話を侮蔑するような風潮にたいしてノンを突きつける姿勢がある。
北米西海岸から南米、とくにブラジルをわたり歩いて、ネイティブアメリカンの神話を比較考察することで、レヴィ=ストロースはそこに世界を説明しようとする人間の営みを見た。科学にせよ神話にせよ、この探究心は同質のものだと彼は考えていた。

神話は、土俗的で信用できない過去の沈殿物ではない。科学と神話はきわめて異質な言葉によって隔てられているように見えるが、いずれもが偏りなのだ。
人間はおそらく、ありのままの世界を、ありのままに理解することができないのだろう。そのため、科学では“数字”によって客観性をもたせようとし、神話は“比喩”によって普遍性を語ろうとした。世界は、身近なものに置き換えられることによって、把握が容易にになり、意識のなかでかたちをあらわす。

レヴィ=ストロースは、似たような神話を数多く収集して、小さなストーリーを神話素に分割 した。その神話素をならべることで、構造分析をおこなった。
母をめぐって父と息子が対立し、最後の父を乗り越えていくオイディプス神話の構造は、スターウォーズのルークとダースベーダーはもとより多くの物語に登場する。

その姿勢は、1951年にフランスのディジョンの教会で火あぶりにされたサンタクロースの人形について、レヴィ=ストロースのおこなった分析にもよくあらわれている。

あの不可解で不気味な出来事に、翻弄されてはいけない。そう考えたレヴィ=ストロースは、サンタクロースが生まれた歴史の古層を掘りかえすことからはじめた。そのうえで、資本主義という衣装をまとってしまったサンタクロースの姿を詳述していった。金満主義的な風潮が広がり、それがサンタクロース本来の姿をゆがめていると考えたのである。
レヴィ=ストロースの思考回路には、出来事の背後に隠れている歴史や文化があった。つまり、表徴にふりまわされることを避け、社会構造をベースにした分析をおこなったのである。

資本主義の神話

資本主義社会では、出来事や現象はもとより、精神までもがモノ化していく。その背景には、欲望にとりこまれていく人々の姿が見え隠れしている。資本主義の物語には、現実を抽象化し、数値化したモデルが登場する。そこには営利に基づく数字の競争が生まれるが、逆に生き生きとした現実の本来の姿を見失ってしまうとう問題点もある。

時代の象徴となった人々には、多かれ少なかれ、その時代がもつ気配を肉体によって具現化させられている。彼らは現代の神話ともいえるかたちで、深層にひそんでいるものを見えるものとして表舞台にひきずりだした姿である。
たとえば物質的豊かさを実現した1950年代のアメリカで、セックス・シンボルとなったマリリン・モンローは、人々の欲望をその身体によってうけとめた。そこには華やかさ、豪奢、ある種の軽薄さ、虚構性が宿っていた。
ところが、彼女の突然の死はモノ化した豊かさをいっきにくつがえし、人々の心の底になにかも鋭く訴えかけてくる。深層にあったものを突きつけられたわけだ。しかし、多くの人はその意味がよくわからなかった。

1950年代から60年代にかけて、アメリカの白人中産階級はかつてない繁栄と満足の時代を経験した。テールウィングのついた大型乗用車、新しく登場したテレビ、ジュークボックス、オートバイ、清涼飲料水、化粧品。都市には購買欲を喚起する看板がならび、テレビや雑誌といったマスコミがそれをあおった。
メディアに、とりわけ当時もっとも影響力のあった映画に登場するのは、過剰なまでのセックス・アピールをもった女性たちだった。この時代、マリリン・モンローをはじめ、ジェーン・マンスフィールドやソフィア・ローレンジーナ・ロロブリジータアニタ・エバーグブリジッド・バルドーといった豊満な胸をもった女優たちがスクリーンを埋める。
いずれも1925年から35年までのあいだに生まれた女優たちである。彼女たちは1950年代から60年代にかけて、女優生活の全盛期を迎える。資本主義の申し子でもあったわけだ。

巨大化した乳房は生物学的に見て、赤ちゃんを育てるための機能からもはや大きく逸脱している。本来の目的とその大きさは無関係だ。むしろ男たちの欲望こそが、乳房をふくらませたといっていいだろう。逆にいえば、女たちの策略だ。それは現代がつくりあげた神話のようなものである。

エロティシズムへの欲望は生殖への助走だったのかもしれないが、いつしか別の方向へとむかいはじめた。
年間をつうじて人間の発情期に終わりはなく、性欲は無限に増殖していく。エロティシズムと生殖の乖離は、美食が空腹を満たすための食物摂取とは別の世界にあることと似ている。その美的世界はやがて、それとは対極にあるような物欲や権勢欲、虚栄といったものへと接近していく。

私たちは生贄の羊をささげるようにして、資本主義の神に欲望をささげることにふける。
資本主義というある種の宗教のなかで、欲望が連鎖反応を起こし、生贄の羊はたえまなく祭壇にささげつづけられることになる。


■ほんの紹介

大山猫の物語 (レヴィ・ストロース)
オールタイム・ベスト映画遺産 外国映画男優・女優100
The Actress: Hollywood Acting and the Female Star (English Edition)


いいなと思ったら応援しよう!

Enma Note
記事をお読みいただき、心より感謝いたします。それだけでも十分ではございますが、もし支援のご意志がございましたら、よろしくお願い申し上げます。(Enma Noteより)