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禁欲か贅沢か。経済学者たちの目に映った欲望

もともとは禁欲的で勤勉なプロテスタント精神から、資本主義が生まれた--。
ドイツの社会学者マックス・ウェーバー(1864-1920)は、『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』(1904-05)のなかでそう論じている。働くことを、あるいは実直であることを重んじるプロテスタントの倫理観が、資本主義の産みの親であり、なかでもカルヴァン派の気まじめな市民社会の倫理が、資本主義発達の要因だったという。

いっぽうで、まったく別の見地もある。
プロテスタント的な禁欲ではなく、贅沢こそが資本主義を生みだしたのだという見方である。同じくドイツの経済学者ヴェルナー・ゾンバルト(1863-1941)は『恋愛と贅沢の資本主義』(1912)のなかで、その考えを披露した。この贅沢さの背景には、女性の恋愛や姦通などが大きく作用している、というのがゾンバルトのおもしろいところだ。

たとえば18世紀から19世紀のヨーロッパには、「クルティザンヌ」と呼ばれる高級娼婦がいた。高級という言葉から、高額な対価と引き換えに身をまかせる女性というふうにとらえられがちだが、お金だけの問題ではない。顧客となり恋人となる相手は彼女たちの厳しい目によって選ばれ、貴族であったり銀行家であったり、一流の芸術家、ときには国王であったりした。
彼女たちは邸宅をもち、みずからがホステス(女主人)となって豪華なサロンを開き、ここに上流階級の人々を集めて洗練された社交場をつくりあげた。
そのため、彼女たちには求められるのは美貌だけではなく、高い教養や才覚、気品、人との交際術である。こうして彼女たちは一般的な娼婦に比べると、比較にならないほど社会的にも経済的にも恵まれた立場にあった。

ゾンバルトによれば、このクルチザンヌをめぐる「非合法的な恋愛」が贅沢を生みだし、彼女たちを大衆の憧れとし、それらが近代資本主義の礎となったというのである。
宮廷や彼女たちのサロンでくり広げられる舞踏会は、恋愛という舞台を用意し、そこでは豪華なドレスや贈り物などが必要とされた。贅沢を求め、そこに小さな差異を見つけて競いあうことが、経済発展の燃料となったというわけだ。
これらの贅沢品は商人たちによって植民地から輸入されたものだ。新しいもの、珍しいもの、人がもっていないもので身を飾り、みずからの視力とセンスを見せびらかした。そんななか、貿易で潤った商人たちが新興ブルジョアジーとして台頭してきたのである。

遠隔地交易がヨーロッパに富をもたらし、資本主義を発達させた面はたしかにある。重商主義者であれば、遠隔地との地理的格差を声高に語るだろう。
しかし、ここで注目すべきなのは、むしろ近隣者との心理的差異である。同じ社会に生きる身近な人間どうしが、たとえば小さなアクセサリーにほどこされた宝石の価値を競いあう。あるいは組織内での微妙な役職のちがいを誇ったり、うらやんだりする。
そこでは異質な社会との大きな格差ではなく、むしろ同質的社会における小さな差異、ちょっとしたズラシが重要だった。

ウェーバーやゾンバルトと同じ時代を、アメリカの経済学者ソースティン・ヴェブレン(1857-1929)はヨーロッパではなくアメリカで生きた。経済の中心がこの新大陸に移っていった時代である。
ヴェブレンは最初の著作『有閑階級の理論』(1899)のなかで、資本主義がアメリカで急速に発達した19世紀後半から20世紀初頭の富豪たちの姿を描いている。豪華な邸宅や贅沢品、華美な衣装、華やかなパーティのなかにヴェブレンが見たのは、未開人たちのポトラッチ(potlatch)であり、その羽飾りや祭りの姿だった。

ポトラッチとは、みずからの地位を誇示するために自身の富を分配する行為をさす。北アメリカ北西部の先住民族がおこなってきた儀礼で、その一部族で話される言葉のパツシャトル(patshatl=贈答)から英語にはいったものだ。

ヴェブレンは時代の先端をいく同時代人たちの欲望に、未開人の儀礼を見たわけである。かけ離れた存在に思える両者だが、いずれの社会においても、所有はモノそのものを超えて機能している。つまり、モノは他者との関係を築き、その関係を誇示するための道具とされたのである。

それをよくあらわしているのがヴェブレンのいう「衒示的消費」、すなわち見せびらかしのための買い物である。

人々の欲望は、モノそのものにむけられる動物的な直接性にあるのではない。それよりも、モノを媒介とした他者の視線という間接性に支配されている。この視線を内面化すること、すなわち承認というナルシスティックな欲望が社会に渦巻いている。経済学の言葉をつかえば、消費財は物質的欲望の充足ではなく、多様な社会的文脈のもとで形成された記号として作用しているということである。


*文中に登場した本
マックス・ウェーバー『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神
ヴェルナー・ゾンバルト『恋愛と贅沢の資本主義』
ソースティン・ヴェブレン『有閑階級の理論


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Enma Note
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