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神様は欠席だ、と詩人がいう
ひとつの詩がある。1952年に第一詩集『二十億光年の孤独』を刊行した谷川俊太郎が、この本のなかに収めた『現代のお三時』という1篇だ。
4連構成でわずか15行という短いもので、しかもそれほど目立つ詩ではない。比喩がきいているとはいえ、社会への目がほかの詩に比べて抒情に欠け、直截的すぎるのだろう。それだけに時代感覚というものがにじみでているのもたしかだ。前半の2連を引用してみよう。
溜息と怒号の中で
神様は欠席である
新型自動車が彼を轢いた
金属と会議の中で
タイプライタアはタイピストを打っている
法律は黒いトルソをつくる
紙幣は富んで奴隷を使う
かるが故に
人間は狼にあこがれざるを得ない
詩集が出版されたとき、谷川はまだ二十歳で、その言葉はみずみずしく、軽やかで、感傷や情念からは距離をおいていた。そのいっぽうで、どこか愁いを帯びて孤独な響きをもっていた。ここでいう孤独は人間関係における孤立ではなく、宇宙的とも幾何学的ともいえる風景のなかで感得されたものだ。
1952年といえば敗戦から7年、4月にサンフランシスコ講和条約が発効され、日本が主権を回復した年である。アメリカ軍を主体とした連合国軍の進駐が終了。詩集の刊行はその1カ月あまりあとのことだった。こうした時代背景を考えると、言葉の意味がより鮮明になるだろう。
進駐軍をつうじてアメリカからもたらされた経済や文化、思想、習慣が、日本人の生活に大きな変化をもたらしたことはいうまでもない。とりわけ詩に登場する新型自動車、金属、タイプライタア、紙幣といった言葉は、アメリカ的産業社会や市場経済の特徴を端的にあらわしている。それらが生活に影響をあたえ、心象風景にも揺さぶりをかけていた。神様は新型自動車にひかれてしまったのだ。
これはニーチェの言葉が意識されているだろうから、それまで最高とされてきた諸価値の崩壊を意味し、溜息と怒号は新時代の混乱と競争と管理を思わせる。
こうした変化ゆえに、人は狼にあこがれる。すなわち、過酷ではあるが束縛を逃れ、自由に荒野を駆けめぐる美しい獣の姿に、憧憬をいだくようになったのだ。これもまたひとつのツァイトガイストだったのだろう。
しかし、詩人は社会の管理的状況を糾弾しているわけではない。若いエネルギーを狼に仮託しつつ、新時代の到来を楽しんでいるふうにも感じられる。後半の2連8行を見てみよう。
僕等は刻々に絶壁を大量製産している
次には空間と時間の試作にかからねばならない
この飲みものはお伽噺
このクラッカアは小麦色の牧場
あの雲は古風なフーガ
せめてお三時を夢にしよう
要約してしまえば、産業社会の進展とその管理のなかで、せめて三時の休憩くらいはのどかな夢を見たい、といことだろう。そこでは人間性の疎外が起こっている。詩はこうした社会状況を寓意のなかに描きだした。
絶壁は管理社会の閉塞感ととることができるし、想像を絶する生産と開発を思わせもする。それらを肯定しているわけではないが、詩は重苦しさを逃れてむしろユーモアと明るさをもちえている。最終連のアイロニーからは、過去への普遍的な郷愁を感じとることができるだろう。と同時に、まだ実現はされていない物質的繁栄や経済成長を予感させもする。
谷川俊太郎は哲学者の息子として東京に生まれ、溢れんばかりのきらめく才能とともに、東京という都市を生きてきたように見える、その詩のセンスや良さや口あたりの柔らかさは、戦後詩人というよりも都市の詩人というほうが収まりがいい。
詩人は今年の11月13日に、92年というけっして短くはない生涯を閉じた。そのむうには、都市化という時代の景色が透けて見える気がする。
『二十億光年の孤独』が刊行された同じころ、アメリカではひとりの女優が注目されはじめていた。マリリン・モンローである。まったく売れない役者だったが、1951年ごろから脇役として映画に出演できるようになった。52年になると、映画『ノックは無用』で準主役がまわってきた。53年には『ナイアガラ』で主役を演じ、腰をふって歩くモンロー・ウォークが男たちの視線をひきつけた。
その後、主演映画がつぎつぎとヒットし、いっきにスターダムを駆けあがっていったのだ。
しかし、モンローの生涯にから匂ってくるのは、華やかかもしれないが、けっして透明感のある都市の姿ではない。もっと激しさをもった興奮と不安という時代の横顔である。
20世紀は都市化の時代だった。同時に戦争の世紀であり、分断の世紀であり、確執の時代だった。詩人が語ったように、「神様は欠席」だったのかもしれない。神は死んだのではなく、欠席だとしたところに、希望が見いだせるのか、あるいは無責任さや虚無を見るのか。
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