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2020の振り返り~ワタシとシホンシュギとシアワセ~

年末年始一歩も外に出る必要がなくて大変うれしいしとぎしです。

去年節目の日にはしっかり感謝と振り返りをしようと思いnoteを書きました。
今年もそうします!

まずはこの場を勝手に借りて今年1年間関わっていただいた方は感謝でいっぱいです!

自他ともに認めるどうしようもないダメ人間ですが、色々ご迷惑をうちのしとぎしがおかけしたと思います。
来年もよろしくお願いします。

以下はしとぎしがただただ1年間を振り返るnoteなのでご興味がある方がいたら読んでくれるとしとぎしも喜びます(笑)


ワタシとシホンシュギとシアワセ

「ゆーじんって何しているときが幸せ?」

この一言でしとぎしは2019に見事アイデンティティクライシス(一度は使ってみたかった横文字)に陥りました。

まー昔から何一つ秀でているものがなかったので、
常に「どうやったら周りに自分は勝てるのか?」みたいなことばかり考えるようになり、
良くも悪くもコンプレックスたっぷりで、分析好きかつ戦略的かつ上昇志向爆発みたいな田舎者が爆誕したと思われます。

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そんな自分が資本主義ー1グランプリという賞レースの中で勝ちに行くにはと考えたときスペックの低い自分はセオリー通り受験で勝負しても勝てねーと思い、他にも色々なこと相まって高校中退して新潟から東京に行きました。

2019年最初は自分の戦略もハマり素晴らしい機会を色々といただくことができたのですが、社会に出た瞬間、元々の無能さを存分に発揮し、社会に滅多打ちにされました。中高と課題を提出期限にまともに出せたことがないような人には社会は厳しいですね。

そんな感じで素晴らしい機会に恵まれながらも滅多打ちにされてる、まさにRIZINの1ラウンド後半であと一歩でKOみたいな状態の時に(1度もRIZINはみたことない)セコンドに「君は何で格闘技やってるの?」みたいな感じで「ゆーじんってどんな時幸せ?」ということを聞かれました。

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今まで「周りに勝つ」といういやそもそも周りって誰?(笑)という謎のポリシーで19年、高校も辞めたりして進んできたので、それが見事に「幸せ」という単語ですべてを否定されてしまいました。(幸せなんて考えたことなかったからね。)(RIZINだったら格闘技やる意味を見失って試合途中で棄権状態です。)

そんないきさつもあり2020はどんな時が幸せなのか探してみようということで、ずっと関わりたかった教育(NPO法人カタリバでのインターンなどなど)とあとは前からしてたwebエンジニアのインターンの二本で動いていました。

今年一番印象に残ったこと

「今年一番印象に残った出来事は?」と自分に問いかけると真っ先に思い浮かぶのがカタリバオンラインでのある出来事が思い浮かびます。


カタリバオンラインとはzoomを利用して様々なプログラムを提供しており、居場所、学びを小中学生向けのkids、中高生向けのTeensそれぞれのプラットフォームで展開しているサービスです。

主に自分は中高生のほうでかかわっていたのですが、今年の6月~8月の2か月少しくらいは(確か)主に小学生のkidsのほうでプログラムをやったりしていました。

そのkids小学生でのほうのプログラムで自分が司会進行をしてるとき、ある小3の子が僕に面と向かって

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「つまらな~い」

と言ってきました(笑)(心打ち砕かれました๏_๏)

その出来事をよく考えると大人だったらそんな「つまらない」って感じても面と向かって言うことなんてまずないけど、その子は感じたことを忖度なしにそのまま言っただけなんですけどなんかめちゃくちゃかっこいいなと思いました(笑)。

感情をダイレクトに変換して表現してるのってすごいいいなって思うことが多いです。

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例えば公共機関で何かに対して駄々こねる園児だったり、公園でランジャタイの漫才みたいに(伝わる人には伝われ(笑))傍から見たら無秩序な世界観で遊ぶ園児とか(笑)

自分は今まで結構感情というか競争に勝つために合理的に選択してきたことが多いのでより一層刺さるのかもしれません。

あと人間って年重ねるにつれて感情を制御することって増えるなーと。

いいか悪いかは置いといて、感情の制御ってある種、忍耐力的側面があって日本教育の賜物というか日本そもそもの美学だったりもすると思うんですけど、

そんな中、純粋につまらないものに対してはつまらない、面白いものに対しては大人の都合でできた時間関係なしにもっとそれやろうっていう小学生の子が自分は純粋にいいな、かっこいいなと思いました。

また、自分自身合理的な判断であったり、感情の制御によってかけられたフィルターによって、純粋に思う楽しい、うれしい、面白い、つまらないといった感情に目をむけられず見落としてきたものが山のようにあるんだろうなと強く思いました。(自分で今書いてて胸の痛い話(笑))

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元々教育分野でも小学生のジャンルには一切興味がなく、たまたま流れで関わりましたが、偶発的な化学反応(向こうは別に変化してないかもしれないので化学反応とは言えないかもしれませんが)は自分にとっていとをかしだなと思います。


頑張ることを頑張ることできない自分

幸せとは?みたいな仏教的思想を唱えだすと(笑)、アホみたいにバイタリティー(最近覚えた横文字)が失われていくんですよね泣

元々の自分の原動力として、周りに勝ってやるという競争心?みたいなものと、社会に対して中指立ててた反抗期が生み出すエネルギーによるものだったのですが、

相対的な他者比較をしなくなり、社会に対しての反抗期も非常に残念ながら高校生のときみたいなとがりもなくなってきてしまっているのが現状です。

もともと自分自身調子(活力)の波はあるのですが、前は上記の二つを兼ね備えてたのでそこまで波は大きくなかったのですが、その二つがなくなってしまったため波が大きくなってしまいました。

そうなると活力がある状態はバチボコ頑張れるのですが、活力がない時だと頑張ることを一切頑張れなくなってしまうことが今年は多かったです。

自分自身低スペック人間なので、愚直に真剣に全力でやらなきゃなんも価値ないし、信頼も築けていけないと思うんですよね。

そういった自分の能力を加味した中で頑張ることを頑張れないってなかなか最低できつい状況でした。

あと頑張ることを頑張れない要因として、理想と現実のギャップが不幸といわれるなかで、自分に期待しないことで理想を作らずギャップをなくし誰かのために頑張るみたいな感じだったのも要因の一つだと思われます。

そういうスタンスでやっていく中で、その誰かのためにに限界がきたのかなとも思います。

これらの状況すべて考えたとき、自分は「頑張る」とかいう状況を極力作ってはいけなくて、結果論として「頑張ってた」(100%出せてる)という形を作らなきゃいけないなと思いました。

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これはすなわち何かの目標や目的を掲げて走るという形じゃなくて、走ること自体が楽しくて走っちゃってる、なんか知らん間に目的地ついてるみたいな。

なんだろ、自分を正当化してる感じもあってなんかあれですが、時代の流れも含めて考えたとき相性もいいと思うので、走ること自体楽しくて走っちゃっているものを迷走しながら探して、それが誰かのために還元できるようなものに勝手になってればなと思います。

来年

来年の個人的テーマは「趣と赴」です。

意味はそのままです。

みなさん来年もよろしくお願いいたします。

その他

こちら振り返りとは少し違いますが、しとぎしが今年ハマったものをただただ羅列してます。


何卒。









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