9.この記事を読んでくれる親であるアナタへ。
今から偉そうな事を書きます。
ほっんとにすみません。
独身子供おらず
の私が語る事でも無いと思っております。
熱苦しい自分語りが始まるかもしれません。
ただ、どうしても伝えたかったのです。文章にまとまりがないかもしれません。何も考えず感じている事を綴ります。(#なんのはなしですか、ありがとう。)
私は親である方々を世界一尊敬しています。
あるテレビで
『子供のためならなんでもする』
と語った親御さんを観ました。
私にはそのような尊い存在はいません。自分のためにしかなんでも出来ません。年々自己中になっているなと感じています。それは、自分よりも守るべき愛する存在がいないからだと思います。この自己中はほんまに厄介で、出来る事ならそうならずにいたいと常々気をつけてはいます。
私には子宮がありません。病気になり摘出しました。それが原因で色々ありました。ただそこに悲壮感や劣等感は全くありません。起こる現実は変えられないから。だから子供が大好きな私は友人達の子供の話もどんどん聞くし、遠慮なくして欲しいと伝えています。
私は親である方々を世界一尊敬しています。そんな方々から聞く話は、私の自己中心的になりつつある考え方を正してくれ、誰かのために生きる優しさを教えてくれます。
私の姉家族は昔交通事故に遭いました。停車中に脇見運転のトラックが横から突っ込んで来たのです。
一報を受けた時のショックは未だに消えません。
大怪我を負ったのは姉だけで、旦那さんや子供は幸い軽傷でした。
姉は子供が救急車に乗り込むのを見届け、子供の救急車が走り出した瞬間、意識を失いました。気付いたら病院だったそうです。姉と子供が救急車で運ばれるのを見届け、姉の旦那さんは最後に救急車に乗りました。そこで私達に連絡をくれました。
姉の子供はまだ3歳で小児救急を担う病院でないと受け入れが出来ず、姉とは違う病院に運ばれました。旦那さんも違う病院に運ばれました。
私たちは、とにかく旦那さんから聞いた姉の病院へ駆けつけました。
まだ治療中のベッドで姉は泣きながら
〇〇(子供)のとこ行ってあげて、ひとりやねん、大丈夫かな、どうしよ…
自分は大怪我を負っても、子供の事しか考えていないその姿に母である姉の強さをみました。
私は
わかった、私が行くから安心して!
◯ちゃん(姉)も頑張りよ!
と伝え、父母に姉を任せ、姉の子供の所へ急ぎました。
病院に到着すると、軽傷であっても小さな足から点滴が繋がれた状態で姉の子供が横になっていました。口の中を切り顔にはまだ血の跡が付いていました。私は駆け寄りました。不安そうな顔が一気に笑顔になりました。
良かった…生きてる
ベッドで起き上がった姉の子供を思いっきり抱きしめました。
抱きしめた時の小さな小さな肩の感触を私はまだ覚えています。
ひとりで救急車に乗って、ひとりで運ばれて…どんなに心細かっただろう…
泣くのを必死に堪え、笑顔で言いました。
パパもママも大丈夫やからな!私ずっと〇〇と一緒におるからな!退院したら会いに行こな!
うん!
力強い返事にまた涙が出そうになりました。
ほんとは子供にとっても姉が抱きしめてあげられたらどんなに良かったか
姉がどんなに抱きしめたかったか
と考えると、胸が張り裂けそうでした。
本当に強いお子様ですね
運び込まれてから4時間。姉の子供は泣かずにひとり耐えていたと看護師さんから聞きました。それを聞いてまた私は泣くのを必死に堪えました。姉の子供の頑張りを私が無駄にしてしまう気がして。姉の容態が急変していないか気がかりで私も不安でいっぱいでした。その不安を悟られないように、精一杯いつも通りを装いました。
神様、この子から母親を取り上げないでください
心の中で祈り続けました。
しばらくすると、姉の旦那さんが駆けつけました。
私の時より笑顔でパパと抱き合いました。その姿に私は心底安心しました。姉の旦那さんに
怪我大丈夫なん?
と、聞いても
大丈夫、大丈夫!
と平気そうにしていましたが、後から聞いたら無理矢理退院していました。
まさに『子供のためならなんでもする』を体現していました。
だから私は親である方々を世界一尊敬しています。
自分がどんな状況になっても、子供のためなら踏ん張る。しんどい時があって当然。体が動かない、心がしんどい時もある。けれど、常に子供の事を考えているから。
廃車手続きをしたのは私で、その事故車を見た時この状態でよく3人が生き残ってくれた、生きてる事は奇跡なんだと思わずにはいられませんでした。
当たり前だけれど、命はひとつしかないと。当たり前にあることは、瞬間で壊れてしまう可能性があることを。
私の父はある日突然心筋梗塞で亡くなりました。たったひとりで、誰にも気付かれず。発見された時には亡くなってから半日が経過していました。
当たり前にある日常がある日突然壊れてしまうこと。父が教えてくれました。
だから、今、この時を大切にしなければ。と、強く強く思うようになりました。
私は幼稚園から小3まで不登校気味でした。体が弱かったのもありますが、幼稚園が学校が怖かったのです。
今でも、7.8.9の段の掛け算が弱いです。21-7=14の計算めちゃくちゃ遅いです。そろばん全く出来ません。低学年の普通が出来ない事が多いです。でも困りません。計算機があります。
本を読むことだけが好きでした。
それが私を色んな意味で救ってくれました。
私がこの様な状態の時、両親を中心に家族全員が守ってくれました。だから私の現在はあります。
年々おひとり様が板に着きすぎて、自分が可愛くて、ひとりになりたいことが多くなっています。でも今の私はこの時の感謝を忘れずに母筆頭に私が出来る事を家族へ恩返ししているつもりです。元気になった姉家族、もう1人の姉の家族たちへ。今しか出来ないという想いを抱きながら。
40半ばにもなって、親の立場では無く、子供の立場でしか話せない私です。ただ大きくなった子供だから、これだけは言えます。
この記事を読んでくれる、親であるアナタへ。
いつもお疲れ様です。
どこの馬の骨かもわからない私ですが、アナタを世界一尊敬し、応援しています。
そしてもし今辛い想いをされている方がいらっしゃるのであれば。
その辛さはアナタにしかわからない辛さだけど、乗り越えられるのはアナタしかいないと思います。
絶対いつか報われる時が来ます。私はそう思います。
偉そうにほっんとにすみません。
あと私の好きな言葉は
生きてるだけで丸儲け、です。
ラディ(kojuroさん命名、笑)は何をひとりで熱く語っているのでしょうか…
#なんのはなしですか
と笑って下さい。
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