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継がれていく

自分の使命を仕事にし、まっすぐに突っ走ってきた母。
楽しいこと、やりたいことをやり続けて
その傍らで置いてけぼりになりさみしかったのは、娘のわたし。

自分の気持ちを表に出せず
全部内に閉じ込めて
閉じ込めたまま10歳の頃爆発した。

母の愛と関心をあふれるほど受けたかったと大人になって気づき、
わたしはむすこにあふれるほどの愛を伝えようと決めた。
小さな時だけでなくいまも言葉で伝えている。
彼に注がれた純粋な愛が彼を満たしたとき
彼の愛が外側にこぼれ始めまわりに愛が伝わっていく。

まずは自分を満たす、といつもわたしが言っているのはそんな理由。

自分ファーストで生きてきた(ようにみえる)母のおかげでわたしも自分がどうしたいのか?を一番に考えるのが当たり前に育ってきた。

40年以上前に「子どもたちに本物の英語を教えたい」とアメリカ人講師を雇って英会話教室を始めた母。
日本人ではない見た目の人が歩いていたらジロジロ見る時代に専業主婦だった英語好きの女性が、田舎でひとりで始めるなんて。

いわゆる『日本の常識』がない母に育てられたので、わたしも欠落している。
欠けているっていいな、と思う。
そもそもなにを基準に欠けている、っていうんだろうね。

子どもの時からのこじれまくった感情の糸がほどけてきた今、日本社会の枠にはまらない母のもとで育ったのは面白かったと思う。
幼いころのわたしはもっと母の愛がほしかったけれど『じぶんを生きる』という母の生き様に巻き込まれるように、わたしも生きてきた。
わたしの欲しかった愛は得られなかったけれど、干渉も少なかったからわたしは自力でもがいて自分の道を作ってきた。

いまは母を反面教師にしている面もあるし、
知らず知らずに継承しているところもある。
こうして混ざり合って息子に伝わり、彼がさらに彼らしく生きていけるのなら素晴らしいこと。

目に見えない、継がれていくもの。







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