服薬OK!
ジェンダーの授業で、グラウンドルールが設定されていることがあった。
グラウンドルールは、そのコミュニティをよりあらゆる人がセーフに過ごせるようにするためのルールだ。
高島鈴さんのご講演の際に、いくつかのグラウンドルールが設けられていた。高島鈴さんは、アナーカフェミニストで、あらゆる権力の廃絶をもとめているフェミニストだ。
グラウンドルールにもアナーキズムの片鱗が表れていた。
・いつ抜け出してもOK!
・スマホ見てもOK!
・寝てもOK!
・聞きやすい体勢で聞いてOK!
・服薬OK!
etc…
授業は、<先生>と<受講生>という権威的な構造をより具現化するものだ。誰かが誰かにものを「教える」という構造には権力が発生し、その権力が「体罰」などの形で物質的な暴力化がなされる。
「服薬OK!」
服薬という行動に含まれる、「私は病気なのだ」というメッセージや、
絶妙な緊張感を考えると、たとえ、授業を聞いていて苦しくなったとしても、服薬は躊躇われてしまう。
しかし、「服薬OK!」と書かれることによって、服薬という行為が授業内で行われることが想定される状態になる。
私は端的に、この言葉に救われた。
辛くなっていけない、服薬は場の空気を壊す、というある種の自己意識を撤廃することにつながった。
グラウンドルールの存在意義は、実際に他者の行動を抑制することにあるのではなく、あらゆる人の存在を明文化するためのものなのではないか。
グランドルールが制定される過程において、ある行為を承認することや禁止することは、自分の存在が想定されているということの実感を伴う。グラウンドルールは単なるルールに終わらない。存在の容認なのだ。
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