アラ古希ジイさんの人生、みんな夢の中 アオハル編⑦ 「真夏の渇き」事件
(1)真夏の渇き
少年Eは、中学生になった。クラブ活動は、担任のY先生が個人競技よりチームゲームを大いに勧めたので、最初はバレーボール部に入り、それなりに頑張ったが、もともと走るのが速かった少年Eは、陸上部の練習を横目で見ながら、煮え切らない思いを抱えて、Y先生に相談し、大いに迷ったが、結局陸上部に移った。
しかし、スポーツの種類や活躍の程度をここで問題にしたくない。最も強く言いたいのは、おそらくは戦前から、それ以後も何十年の間続いた「運動中は、水を飲むな!」という指導だ。日本のスポーツ指導者が医師に確認さえすれば、また若い時に間違った指導を受けて、その後医師になったスポーツ経験者がどうして黙っていたんだろう!?とにかく、「当時のスポーツ指導者は、全員懺悔しろーーーーーーーっ!!!」
あの間違った指導のために、中学、高校の6年間だけではないが、練習、試合の間中、カラカラの喉を潤す水を求めて、練習後は水道にダッシュしていた。高校の時は、練習が終わると学校から100mくらいのところにある、駄菓子屋までダッシュして、一番安い「チェリオ」という炭酸飲料をがぶ飲みしていた。
中でも忘れられないのは、中3の夏、7月下旬の陸上大会。走るレースの前、ウォーミングアップだけで、喉は張り付くほどだった。アップを終え、レースまでのあいだ、座って休んでいたが、ノドはカラッカラ。かろうじて、首の後ろを冷やすため、水で絞ったタオルを首からかけていたが、余りの渇きに、少年Eは決してキレイと言えないそのタオルを口に含み、チューチュー吸ったのである、罪悪感を感じながら。全く馬鹿々々しい。走りのパフォーマンスにも悪い影響しかなかった、と思う。今思い出しても、もう笑うしかない、怒るのもウンザリだ!!
(2)「中学2年3学期数学期末テスト中の暴発」事件
少年Eの中2時代はまさに快調だった。勉強では、特に数学が、1学期の中間、期末、2学期の中間、期末、4回全て100点だった。3学期は期間が短いので期末だけだったが、少年Eはこれも100点を狙っていた。
しかし、いざテストが始まると、思ったように問題が解けない。少年Eは焦り出した。こんなハズはない。でも、どうして解けなかった。完全に油断していた、調子に乗っていた。カーっと全身が熱くなった。と同時に股間がムズムズして来た。少年Eは問題を解こうと焦り、自分の身体がどうなっているのか、分からなかった。無意識に、鉛筆のとがっていない方を股間に押し付け、グイグイやった。そしてやがて突然その瞬間がやって来た。少年はいつのまにか、大人の階段を昇りつめ、あるイタダキに到達してしまった。何が起こったか、少年Eには分からなかった。ハアハア息を切らしていたかもしれない、周りの者や先生も怪しんだかもしれないが、そうこうするうちに、テストは終了し、敗北感の中で、少年Eは解答用紙を提出した。その後、トイレに行ったのか、またどのように帰宅し、どのようにパンツを脱いだのか、身体に残った残渣を確認したのか?全く記憶にない。その後返却された期末テストは、60点だった。その後中3になってもしばらくスランプは続いたが、何とか回復して行った。
その以前も、それ以後も、「夢精」というものを経験したことがない。自分で処理できるようになったのは、中3くらいだったろうか?はっきり覚えているのは、高1の時、五木寛之の「青春の門 筑豊編」を読んで、「1日6回やっても良い」ということを知って、やっと安心して、毎日処理できるようになった。友だちとも笑いながら、そういう話が出来るようになった。田舎とはいえ、恐ろしいほどオクテ、であった。以降の人生で、試験の前には、溜めておかないこと、これが教訓になった。
少しのことにも、先達とは、あらまほしきことなり。 (徒然草52段)
末尾の一首
しつけ糸 ほどけるように 向日葵が 遠いひかりに ひらかれてゆく
東 直子