アシュケナージとアガタの乳房
お菓子の名前は、サンジュニバブカ(St.Genix x Babka)
長年作り続けてきたフランス地方菓子に、新しい解釈を見出し再構築する企画を続けています。
お菓子には、歴史的背景があり、それぞれが異なった生い立ちをしていますが、長い歴史の中で接点があることがわかってきました。そんな歴史的観点、あるいは味覚的観点から、自分なりに分析を重ねています。本日は、サヴァア地方のブリオッシュ サンジュニとポーランドにその歴史を持つ謎のお菓子、バブカをマリアージュさせてみました。
最近見るバブカは、チョコレートのマーブル模様のものですが、もともとはポーランドの素朴なクグロフのようなお菓子です。グーグルで検索すると、マーブル模様のバブカが出てきて、解説にはポーランドに住んでいたユダヤ系アシュケナージュの甘い編みパン、またはケーキとありますが・・・。(まあ、私も今回そちらを取り入れているのですけど(笑))アメリカで最近話題になって、フランス人パティシエも作っています。
バブカはもともとポーランドのお菓子というのは確かで、クグロフにお酒をかけて食べたら美味しかったのでそれをババに仕立てたというフランス、ロレーヌ地方のスタニスラス・レクチンスキー公の話の中のクグロフが、実な故郷のバブカ(公はポーランド王だったが、権力闘争で負けてフランスに逃亡)だったかもしれない説というのがありまして、その時のバブカはマーブル模様などなかったに違いないです。
ユダヤ人の人口は、アメリカがトップ、次がフランスなんですね。パリのマレ地区に行けば、ユダヤ人を多く見かけますし、ユダヤ系のお惣菜やお菓子を売っているお店も多いです。パリでチーズケーキを初めて見たのはこのマレ地区のそんなお店。チーズケーキは日本もそうですが、ドイツのチーズケーキが起源のものが多い。フランスに移り住んだユダヤ人が作っているのですね。
ユダヤ人は、紀元前17世紀ヘブライ人と呼ばれていて、カナン(パレスチナ)に住んでいたんですけど、エジプトに集団移住して遊牧民として暮らしていました。でも、そこで気候変動にあってカナンにもどります。ここで初めてイスラエル人と呼ばれます。が、ローマに支配され(この時キリストが出現)やがて滅ぼされる運命に。それからは各地に散らばります。国を持たないユダヤ人は、大きく分けて2つに分かれま
す。ロシア、ポーランド、ドイツなどへの移住したユダヤ人Ashkenaziアシュケナージと呼ばれる東欧系ユダヤ人です。また、スペイン、イタリアなどへ移住したユダヤ人はSephardimセファルディムと呼ばれます。17世紀初頭には、セファルディムが多くアメリカに移住。しかし、1880年代からは、アシュケナージュが増えたそうです。で、バブカを伝えた、と繋がります~。
今回は、キリスト教のローマ執政官に背いた罰として乳房を切り落とされたが、それが再生したというアガタという聖人の話をもとに作られたフランス、サヴォワ地方に伝わる、ブリオッシュ・サン・ジュニと、やはりローマに支配された歴史を持つ民族のバブカからの歴史インスピレーションコラボ菓子となりました。
(これが、サヴォア地方で作り続けられている、再現したアガタの乳房をイメージして作られたブリオッシュ サン ジュニです)