真田信之
父 真田昌幸と弟 真田信繁(幸村)のインパクトが強いため、ちょっと存在が薄い、兄 真田信之。
大河ドラマ「真田丸」では、大泉洋さんが演じられていました。真田家をライバル視していた武将、室賀正武(西村雅彦さんが演じられていました)から、毎回、「黙れ、こわっぱーーーー!!!」と怒られていました。笑
子どもの頃の名前は源三郎。弟、信繁の子どもの頃の名前は源次郎。つまり、長男が源三郎で、次男が源次郎ということになります。これは、長男の名前を次男よりも下にすることで、長男にふりかかる災いを避ける・・・という習慣があったためなんだそうです。
源三郎は子どもの頃、武田家の人質として過ごし、元服した時、武田信玄の「信」と父 昌幸の「幸」をもらって、「信幸」と名乗りました。
時が経ち・・・。
関ヶ原の戦いでは、父と弟は三成方の西軍、信幸は家康方の東軍につき、どちらが勝っても負けても、真田家は存続する・・・という道を選びました。その時、西軍についた父との決別の意を表わすため、「幸」という字を捨て、「信之」と名前を改めました。
ところで、信之の正室は、徳川四天王の1人、本多忠勝の娘、小松姫です。小松姫は、強く美しい姫君だったというエピソードがあります。
関ヶ原の戦いで、西軍と東軍に分かれた真田親子。あるとき、小松姫は沼田城で留守を守っていました。そこへ、父 昌幸と弟 信繁が立ち寄ります。がしかし。小松姫は
「この城は、信之が守る城。たとえ、舅さまのご命令でも、城主である信之の許しが無い限り、門を開けることはできませぬ」
と断固拒否しました。昌幸が、
「わしは、そなたの夫の父親じゃ。わしは、孫の顔を見に来ただけじゃ」
と言っても、小松姫は
「夫が出陣する時、自分の命令以外で城の門は絶対に開けてはならぬと命じられました。誰であろうと、入れられませぬ」
ときっぱり言い切りました。
諦めた昌幸たちは、近くのお寺で休憩をしました。そこへ、小松姫とその子どもが現われ、小松姫は昌幸や信繁たちをもてなし、「孫に会いにきた」と言った昌幸と孫を会わせたんだそうです。
また、93歳まで長生きした信之は、小松姫が亡くなった時、
「我が家から光が消えた・・・」
と悲しんだそうです。そんなエピソードが残るくらい、存在感のある、強く美しい姫君だったんですね。
弟の信繁は、日本一の兵と言われ、華々しい活躍をしました。一方、兄の信之は存在こそ薄かったけれど、長生きをし、家臣だけでなく、領民にも愛され、並々ならぬ辛抱強さと先を見通す先見の明があり、家康に、その実力を認められた武将でした。