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頑張ろうソング

「頑張れ」はタブー。

あくまでも個人的な勝手な体感で、そういう空気が日常を覆っているように思う。言っちゃダメみたいな。

たしかに、誰にでも言っていい言葉ではないし、人によっては追い詰めてしまう一言になりかねないのは異論の余地がない。かくいう私も、自分なりに必死に頑張っているのに「頑張れ」とか言われたら、怒りとともに殺意が湧くし。目玉焼きに殻が大量に入って歯茎に刺さる呪いをかけるだろうし。

ただ、これはあくまでも

直接言われた場合

であって、不特定多数に対しての「頑張れ」などについては、全く怒りはないし、殺意も湧かない。当然だ、世界で生きているのは私だけではないし、表現は自由だし、それで励まされる人も事実いるし、そもそも強制しているわけではないから。

言葉の形

私は、発する言葉には主に

1.特定の相手に直接言う言葉
2.特定の人達に啓発的に言う言葉
3.不特定多数に自分の思いとして言う言葉

この3つの形があると思っていて。

①は、シンプルに誰かを捕まえて直接言う言葉。これに関しては、人によって「頑張れ」が、傷つくものになりかねない。言っていいのかどうか、きちんと目の前の相手を見て、知れるだけ知って、見定めて発するべきだと私は思う。

②も、①とは少しニュアンスこそ違うが"啓発"の意味合いを含めるわけだから、同じように言葉を慎重に選んで、考えて、誤解を与えないよう前提やフォローの言葉を省略せず、過不足なく発する必要があると思う。

そして、次が今回の肝。

③は、分かりやすい例えで言えば"歌"などがそうだろう。歌詞の中で、とても前向きな表現があったりするし。シャウトしながら「頑張れ!」と訴えているものもあれば、サビで「動き出さなきゃ始まらないよ」と背中をどんと押しているものもある。

では、この③は批判されても仕方ない?

いや、違う。

もちろん表現の度合いによって例外もあるだろうけど、直接目を見て自分に対して言われているわけでもないし、押しつけられているわけでもないのだから、頑張れ頑張れとどんなに歌っても問題ないし、文句を言われる筋合いもない。

この3つを、決して一緒くたにしてはいけない。

③(歌のみならず)に対して好みじゃない、苦手だと思う事自体は人それぞれだけど。「自分に言われていると思い込む→許せない→ボロカス言う」といった不穏な流れになってしまうと、だいぶ危ない。

①②と③は同じではないという風に、きちんと分けて捉えられる人でいたいし、考えられる人でいたい。

たまにポジに触れながら

――と、ここでようやっとタイトルに戻る。

私は根っからのネガティブ思考で、性格は明るいとは言えないし、どうせ自分なんてと高が知れている残りの人生に諦念を抱いている節もあって、頑張れと言われるのが苦手な人間。でも、③に含まれる頑張ろうソングは、

めちゃくちゃ大好きだ。

これね「ポジティブソングも好きだ」と言うたび意外だって思われるんだけど、一体私はどういうイメージなのだろう。どう映っているのだろう。前にnoteに書いたように、たまに知りたくなる。

後ろ向きな表現に「ああ自分だけじゃないんだ」なんてほっとする時もあるけど、前向きな表現に「自分もいつか笑えるかな」なんてちびっと思えそうになる時もあるよ、私だって。

体が弱くてベッドで横になって起き上がれない日も多いけど、唇がちぎるくらい噛んで涙する日も多いけど、生きる事に疲れ果てて投げ出したくもなるけど、全部全部、したくてこうしているわけではないから――って、愚痴になってきたな。やめておこう。

どろどろにネガりながら、たまにポジに触れながら、明日以降も書き続けられたらそれでいいか。それ以上の贅沢は言わないや。

まとめ

何はともあれ、こつこつ続けて今回で155記事目。とりあえず、身近な目標を160記事と決めて、無理しすぎないでこれからも

頑張ろうな、私。

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エトナシ サラ
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