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本出すあれこれ・印刷所・ISBNコード・組版とデザイン

 自分で書いた小説『すべてのことばが起こりますように』を、自分で本にして出そうとしている。今まで本を出したことはない。何もかも手探り。といって、ネットに情報は沢山ある。自分で本を出した人の話。が、だから何もかもが整えられているというほどでもない。肝心なことは、載ってない。肝心なことは、結局自分でやるしかない。何でもそうだ。

 本を出すために、あれこれやっている。間違ってばかりだと思うが、それが間違いかどうかすら、よくわからない。


◎印刷所について。
 
どこの印刷所に依頼するかは、重要なことのようだ。値段・対応の温度感・SNSへの力の入れ具合。これらを色々判断して決めようと思っている。
今は、見積もりをいくつかの印刷所に出してもらっている最中。見積もりを頼もうにも、何をどういえばいいかがまず手探りで、躓く。

・本のサイズ
・部数
・ページ数
・本文の色の数
・見返しはつけるか
・帯は付けるか
・校正刷りはどうするか
・文カバー見返しの用紙はどうするか
・ISBN+JANコードは付けるのか

 特に用紙の種類がほんとうにわからない。「一旦、最も標準的な用紙でそれぞれ見積もっていただけますか」といった。段々、どんな紙が一般的かわかってきた。
対応も当たり前だがまるで違う。メールで門前払いされることもあれば、丁寧な電話を受けることもある。
 そして値段もほんとうに幅がある。同じ注文をしていても数十万円の差が出て、驚いた。定価を抑えるために、印刷費はなるべく安くはしたいが、同時に「少し高いが、ここは良くしてくれたな」とも心によぎる。どうしようか。

「原風景」というものを、女友達にたずねたことがある。それはいつまでもつづくながい夕暮れだ、と彼女はこたえた。そろそろあそぶのをやめて家にかえらなければいけないのだが、もっとあそんでいたい。何人かの子供たちはもうかえってしまっている。空はくもっていて重たい色をして、その暗さはしだいに増していく気配なのだが、夜はなかなかこない。
 彼女のいうところは理解できるのだが、もうひとつぴったりこない。彼女のなかのそういう風景は「子供のころの記憶」で「内なる風景」とはちがうような気がするからだ。
 郷愁という感情がそれには、はりついている。だが、わたしの内なる風景は、あらゆる感情をはぎとられている。よそよそしい、人間を拒否するような非現実感を持った風景に、へんな親しみを感じるのだ。

『鈴木いづみプレミアム・コレクション』より「ふしぎな風景」p.391-392



◎ISBN+JANマークについて。
 
両方取得した。すごく面倒くさかった。すごく。
 ある印刷所の人に「個人で本を出す場合、これらのコードは九割の人はつけない」ときいた。確かに、高かった。金がかかった。問題はそのほかにもあった。これは気軽ではないと思った。わたしはバカで、ロクに調べず、後から多々問題に気づき、頭を抱え、あがき、何とかなった。
 わたしは、今後十冊の本に、ISBNマークを付与できる身体になった。

 このことがあるために、われわれのほとんどすべてが、愛されるよりは愛することを望むのである。ほとんどだれでもが愛する者になりたがる。本当のことをはっきり言ってしまえば、愛されているという状態は、多くの人にとってたえがたいものである。愛される者は愛する者を恐れ憎むが、これもまったく無理からぬことだ。なぜならば、愛する者はたえず愛される者の衣をはいで裸にしようとするからである。愛する者は愛される者を相手に、ありとあらゆる関係を持とうと熱望する。たとえその経験が愛される者には苦痛をもたらさないとしても。

『マッカラーズ短編集』より「悲しき酒場の歌」p.48



◎組版とデザインについて。
『すべてのことばが起こりますように』
のデザインをしてくれる人と、何度か打ち合わせをした。少しずつ本がかたちになっているが、まだ見えない。
組版も、深く考えるべきだ。組んで、初めて気づいた。世の中の小説の単行本の1ページに組まれた文字が大体「何行×何文字」か即答できるか。それを常に意識するようになった。大体「16〜17行×40文字程度」が一般的とされる。「天地のど小口」も覚えた。
 思ったより、ページ数が少ない。結構薄くなるかも。ほんとは分厚くしたい。分厚い本が好きだ。


 色々進めていて、12月中に出すのは厳しいと悟る!



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