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小説の作者が「帯」について考える。

 わたしは、今、自分で書いた小説『すべてのことばが起こりますように』を、自分で本にして出そうとしている。今まで本を出したことはない。何もかもがあまりに手探り。とはいえ、ネットで調べたり、人に訊いたりして、少しずつカタチになってきている。

「帯」とは、小説の下の方についている細長い紙のことで、その本のあらすじとか有識者による紹介文が書いてある。この帯を、今度出版する自分の小説につけたい! とわたしは思った。

『楽園の夕べ』の「帯」

 帯については普通編集者が考えるだろうが、わたしは自分で書いて自分で出して……とやっているため、全てわたしがやるほかない。 別に『すべてのことばが起こりますように』は小規模につくるのだし(300部)、そもそも帯をつける必要がない気もする。しかしわたしは帯にこだわりがあった。なんか、つけてみたい! それに、今回の小説の解説を書いてくれた人がいて、その人に解説を書いていただいたことが大変嬉しく、それはとてもいい文章で(解説の情報については近日解禁します)、その解説から一文とって帯にぜひ入れたいという思惑があったのだ。 ちなみに帯をつけると、わたしの印刷・製本の場合だが、50000円ほど値段が上がる。全体の印刷費を考えると、なかなかの出費だ……。

 帯のことをこの本をデザインしてくれる人に話したら、彼女はそもそも帯について否定的だった。あれ、意味ある? 帯って。かっこ悪くない? まあ確かに……。帯というのは、その存在からして実はいかにも広告的だ。帯文の「芥川賞候補作!」とか「あっという間に百万部突破!」とか。デザイナーからしたら級数を下げたい文章だろう。
 つけるのは、もちろん江藤さんが決めたらいいけど、できれば広告みたいにはしたくない。
 それって、どういうこと? あらすじとかはなし?
 そう、なしで、できれば、いかにも広告って感じにはしたくない。多くても一文びしっと、何だかよくわからない文が入る感じで。
 一文ね、一文……そうねえ。
 なんだかよくわからない一文が入った広告でない帯……それなら、そもそも帯をつける必要がないんじゃ? 値段も張るし……。
 いや、しかし、わたしはこだわって帯をつけたいのだ!!

 ということで、例の素晴らしい解説から「これだ」という小説全体を説明しているようで全然していないしかしよく読むとしている一文をとって、帯文とした。デザイナーも肯いた。
 これは、きっと帯でないような帯になるはずだ……。

 全く情報が出ず、何なんだもったいぶりやがってクソが! と思う人も老いるかもしれないが、今まさに頑張って色々進めているので、『すべてのことばが起こりますように』、もう少しお待ちください。


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