【雑記】自分の中の4人。客観役「焦らずじっくり」、前向きに。
身体を動かすのには、とてもエネルギーが要る。
自分の身体なのに、自分ではない不思議。
自分ではない、と決めているのは誰かと言えば、自分であり、おそらく事実だ。大きな枠で見れば、自分だが、細かく見れば、自分ではない。
自分の中に他人がいて、他人を気遣う自分がいるという感じだろうか。
自分の身体とは環境のようなものでもある。自然環境のような。
自然環境でもあり、そうした環境から得たツールでもある。
(感覚型のヤツ談)
あいさつ役を任された客観的感覚型のヤツです。
今回の記事は、自分の身体を動かす”自分の中の人たち”の話だ。
この身体がうまく動かなくなったため、感覚型のヤツが中心となって思いつきで始めたことだ。とはいえ、感覚型のここ数年のマイブームが”自分の身体と自分たち”についてなので、今に始まったことではないのだが。
自分の身体と自分たちの関係について掘り下げる内容にはならなかったが、簡単に自分たちについて整理するいい機会にはなっただろう。
自分の身体がうまく動かなくなった際に、それが動き出すまでの一連のプロセスを確認できたのではないかと感じている。それぞれの役割、性格など、自己紹介的な内容になっている。
はじめまして、感覚型のヤツです。
自分の中には、感覚型のヤツがいる。
今、この記事を書いているのは、この感覚型のヤツだ。(今の代表者。)
この感覚型のヤツは、比較的能動的に動いてくれる。客観型のヤツが時どき顔を出すが、現在は自分の身体が動くことを優先する方針になっているため、あまり口出さないようにしているようだ。
感覚型という言葉は、便宜上使っているだけで、これからもずっと使うわけではない。なぜなら、客観型のヤツも感覚型のヤツがいるから。そういうヤツは客観的感覚型というべきか。
この客観的感覚型のヤツは、適度にストッパーになってくれる。だが、コイツが悩みだすと、全体がストップしてしまうため、悩みだしたらできるだけグルグルならない程度の大きな枠組みの内容に戻すようにしている。
どうも、客観型のヤツです。
感覚型のヤツは、客観的感覚型を気にしだすと、感覚型の機能がストップする傾向がある。そんな時に出てくるのが、この客観型のヤツだ。
感覚型が能動的に動いてくれないと、客観型のヤツは困ってしまう。客観する対象があることで機能する客観型。今はこの客観型の意見を聞きながら対応している。自分たちの医者的役割を担ってくれている。
客観型は言う。まずは状況(気持ち)を落ち着かせることが重要だと。
感覚型は気持ちで動く傾向があるため、気持ちが続くことが大切だと。気持ちはエネルギー源でもある。
困ったら、達観者。
客観型は医者的役割を担ってくれるが、具体的な方向性を決めてくれるわけではない。症状を落ち着かせることに力を発揮してくれるが、その後何をすればいいかについては、自分で決めるように言ってくる。
そんな時、達観者が出てきて、カッコよさげなことを言ってくる。
答えがはっきり定まらないなら、定まらないままやってみればいい。やってみているうちに、答えは定まってくる、と。
何を根拠にそんなこと言ってんだコイツ、などと思うわけだが、達観者の経験則的なものだろうと、とりあえず納得するわけである。
結局、うまくいく時はうまくいくし、うまくいかない時はうまくいかない。なに当たり前のこと言ってんだ、などと思うわけだが、こうしたやり取りが意外と身体を動かしてくれるから、達観者を馬鹿にできないなと思うわけである。言われた時は、内心笑っているのだが、笑うことも大事だなと改めて気づかされる。
自分の中にいる人たち。取りまとめ役を任された客観的感覚型のヤツです。
自分の身体とはー、みたいな話はできなかったが、それでいいんだよと達観者は言う。客観型は微笑みながらそれを見ている。
客観型は、「まずは動ける状態を安定的に維持できることが大事だ。焦らず、じっくりと取り組もう」と語っている。
自分の中にいる人たちについて、少しでも確認できたことで次のステップに進みやすくなる。一歩前進だ、と前向きに捉えている。
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