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【日本三景と艦とサメ】マイルで行く! 京都・大阪旅行記録 2日目(舞鶴・天橋立編)

 というわけで2日目です。飛行機の遅延により予定していた特急に乗りそこね、予定を切り替えて舞鶴へやってきました。1日目の模様はこちら。


今回の旅程

 2日目の旅程はこのような感じでした


2日目 2024年9月9日(月)
8:30ごろ ホテルで朝食
東舞鶴観光(軍港めぐりクルーズ 舞鶴赤れんがパークなど)
13:30ごろ 東舞鶴駅発
 ↓ 舞鶴線
13:40ごろ 西舞鶴駅着・発
 ↓ 京都丹後鉄道宮舞線
14:25ごろ 天橋立駅着
天橋立観光(天橋立ビューランド 傘松公園など)
18:09 天橋立駅発
 ↓ 特急はしだて8号
20:21 京都駅着
 ↓ 東海道本線
時間不明 大阪駅着
 ↓ Osaka Metro 御堂筋線
時間不明 大国町駅着
21:45ごろ 宿泊先着
大阪泊


ホテルアマービレ舞鶴で朝食

 2日目は朝風呂を浴びてからホテルのバイキングでスタート。ホテルアマービレ舞鶴さんには大浴場があるのが嬉しいですね。客室に窓がなかったのはかなり閉口しましたが、総じて快適な滞在となりました。感謝です。

朝食バイキング

 朝食バイキングにはこれまた海軍カレーと、舞鶴発祥と言われる肉じゃががありました。いや、肉じゃがの発祥は諸説ありますが、ビーフシチューに端を発するという見識があるようです。なんでも、海軍大将東郷平八郎がイギリス留学中に食べていたビーフシチューを艦上食としようとした結果、ワインやバターが調達できず醤油や砂糖で味付けをしたために肉じゃがへと変貌していったとのこと。旧帝国海軍の医務局長が脚気の原因をタンパク質不足と捉え、その解消のため肉食を定着させようとしたがうまくいかず、日本人の口に合う肉料理が求められていたという背景もあるようです。肉じゃがもカレーも似たようなもんだし(暴論)どっちも海軍に関係する謂れがあるんだなぁ。
 東郷平八郎は舞鶴鎮守府初代長官を務めたことから、舞鶴市が肉じゃが発祥の地を称するも、舞鶴赴任の前に呉に赴任していたことから呉市も発祥の地を宣言。今は両者並び立つ存在になっているようです。じゃあ舞鶴より先に長官を務めていた佐世保市(佐世保鎮守府)は名乗りでないの? と思ったのですが、佐世保は別にそういうことはない模様。まぁ佐世保といえばハンバーガーですしね。佐世保バーガーはマクドナルドの日本上陸前よりも前の時代に起源を求められるらしい。
 まぁその辺はさておき、肉じゃがもさらさらしたカレーも大変美味しゅうございました。ただ、米と一緒に食べるとお茶漬けみたいに飲んでしまうな。消化に悪いかも……

朝食会場から見る「松栄館」

東舞鶴観光(2日目)(10:00ごろ)

 チェックアウトを済ませ、再度舞鶴港へ。赤れんがパークの方に行くと昨日と同じく補給艦ましゅうと掃海艇あいしまが繋留されていました。

左からましゅう あいしま すがしま(除籍済み)

 そこには赤れんが博物館なるものがあるのですが

またしても改修中! なんかこういうこと多いな……

掃海艇あいしまとクルーズ船
こうして見ると掃海艇も結構大きいかも

 湾内を眺めていたら今回の目玉である「軍港めぐりクルーズ」の船がやってきました。でもまだ出航時間まであるので乗れません。赤れんがパークへ向かい、中を見学します。昨日と違って営業してるぞ!
 赤れんが2号棟が舞鶴市制記念館となっていて、舞鶴市の歴史が簡単に見学できるようになっています。そこにも艦これ関係の立て看が。

防空駆逐艦秋月(舞鶴工廠で建造)の立て看(左)と駅にもあった駆逐艦吹雪(右)
駆逐艦吹雪の立て看(左)と、誰だろうと思ったらC2機関娘のしーちゃんだそう(右)
舞鶴市域の変遷図

 舞鶴市域の変遷図がかなり面白い。
 「舞鶴」という名称はもともと西舞鶴駅近くの田辺城の異称「舞鶴城(ぶがくじょう)」に由来するそう。異称がカッコ良過ぎる……。元は田辺藩が置かれていたそうですが、他の地域、具体的には紀伊や山城の方にも田辺という地名があったことから、混同を避けるため城の異称である「舞鶴(ぶがく)」 を「舞鶴(まいづる )」と読み改めて地名としたそう。廃藩置県で田辺藩域は舞鶴県となった後すぐに豊岡県管轄になり、その後豊岡県が京都府へ編入され京都府の中に入ったようです。
 図の一番左上の超小さい緑の領域がその田辺城下町で、舞鶴の名を受け継ぐ「舞鶴町」だったようです。その東隣にあったのが余内村(あまうちむら)。余内村の余部上、余部下など村の一部が鎮守府開庁に伴い独立し余部町(あまるべまち)となり(右端の青の領域)、のちに中舞鶴町へと改称。この図では微妙にわかりにくいですが、舞鶴町ー余内村ー中舞鶴町ー新舞鶴町と隣接していた時期があったと言うことになりますかね。この「他所の名前を称しています」感! その後、舞鶴町は合併により町域を広げた後、市政施行。中舞鶴町他は東舞鶴市を経て両者合併し舞鶴市へ。
 にしても城下町の近くの「余内」、その中の「余部」という地名がなんだかすごく気になります。城下の近くにありなんの開発もされず余っていた土地だったのか? だからこそ大規模な鎮守府開庁に踏み切れたのか? 想像が広がりますね……

3号館はお土産館になっていて艦これの立て看やグッズまでありました
ハロウィン仕様になっている。ケープ着せてもらってかわいいね
軽巡由良(左)と軽巡酒匂(右)
軽巡洋艦酒匂は終戦時舞鶴港に繋留されていたそう
その後復員艦として活躍したのち、ビキニ環礁の核実験により沈没しています

 艦これ、触らなくなってしまって久しいですが、かなり好きだった思い出がありますね。まさに、舞鶴鎮守府所属(「舞鶴鎮守府サーバ」にアカウントが格納されている)提督でした。ゲームの方はさておき、漫画「いつか静かな海で」とか大好きでした。調べてみたら3巻まで出ていたようですね。2巻までしか持ってなかった。2巻の発売日が2014年、3巻が2017年なので、その辺で触らなくなってしまったのでしょう。
 プロデューサーとか提督とかになるゲームの、触らなくなった後のことを考えるのは史実で沈没した艦娘のことを考えるのに似た郷愁を覚えますね。いつまでも出勤してこない提督を待っているのだろうか……。というか、私の永遠の秘書艦である駆逐艦漣の立て看がないんだが??? 舞鶴工廠生まれなんだが???

赤れんがと掃海艇
軍港らしい図だ……
多分赤れんが4号館
床に線路が残っているのがいいですね

軍港めぐりクルーズ(10:40ごろ)

 お待ちかねの軍港クルーズに参ります!

乗船します

 湾内を反時計回りに巡るので、沿岸に繋留される艦を見学したいと考え、右舷の席を確保。ただ、後部のデッキにいても良かったようです。天気もいいし、そうしても良かったな。

ずっと遠巻きにしていた掃海艇あいしまがこんなに近くに!
海上自衛隊航空基地
運が良ければ哨戒に出るヘリコプターが見られるそう
ガイドさん「今日は哨戒に出るヘリコプターを紹介できないようですね」
点検中のヘリコプター搭載護衛艦ひゅうが
修理中の護衛艦せとぎり
何と平成2年就役! 能登半島地震に災害派遣されたとか
多用途支援艦ひうち
小さいけどひゅうがを曳航できるほどの力があるとか
ミサイル艇うみたか
哨戒、対艦攻撃を主体とする高速戦闘艇なんだとか
イージス艦あたご(奥 平成19年就航)と護衛艦せんだい(手前平成3年就航)
時代がちょっと違うだけでシルエットがこんなに違う。レーダーに対するステルス性を上げるため、こういうツルツルした形状になったそう
イージス艦こんごう(右)と補給艦ましゅう(左)
補給艦ましゅう
改めてデカい。ヘリコプター搭載護衛艦が就航するまでは海上自衛隊最大の艦だったらしい

 とクルーズを満喫して下船。窓越しに撮影すると手とか写っちゃうしやっぱりデッキに出ても良かったな。呉港の「呉湾艦船めぐり」は屋上オープンデッキになっていたのを思い出しました。今度は後部デッキに乗ろう。

最後にもう一回ましゅうを見て
赤れんが5号館のカフェで軽食を摂ったら天橋立へ向かいます!

西舞鶴駅発(13:40ごろ)

 東舞鶴駅から一駅だけ舞鶴線に乗り、西舞鶴駅で京都丹後鉄道に乗り換えです。舞鶴市域の変遷図を見ても分かるとおり、西舞鶴の田辺城跡付近が歴史的に古い舞鶴。軍港の東舞鶴と城下町の西舞鶴ということで、本当は西舞鶴観光もしたかったのですが、時間的な余裕が全くなく……

西舞鶴から乗った車両
観光列車に合わせてリニューアルされた丹鉄コミューター車両

 西舞鶴駅で京都丹後鉄道に乗り換えです!
 京都丹後鉄道は、国鉄時代に特定地方交通線(端的に言えば、赤字ローカル線)に指定された宮津線(西舞鶴ー豊岡間)と、紆余曲折あって建設された宮福線(宮津ー福知山間)で構成されています。宮津線は戦前に全通しますが、宮福線は紆余曲折があって工事が中断、戦後になってもまだ全通せず、そのまま国鉄の経営危機を迎えます。自治体は宮福線を第三セクターの会社で引き受けることを決め、工事を再開。その後特定地方交通線に指定された宮津線を併せて引き受け、今の京都丹後鉄道の形になっているようです。
 ちなみに、今はその第三セクターの会社「北近畿タンゴ鉄道」は設備を保有しているだけで運行は行なっておらず、設備を借り受け運行を行なっている会社は「WILLER TRAINS株式会社」と言うそうな。社名が全部アルファベット表記の鉄道会社は日本で唯一らしいです。

https://trains.willer.co.jp/station/
公式サイトより

 旅客案内上は宮津線が「宮舞線(西舞鶴ー宮津間)」「宮豊線(宮津ー豊岡間)」と区別して案内されます。T字と見るかY字と見るかの違いのようですが、「どこからどこまで」と言うわかりやすさがありますね。T字に考えて「舞豊線&宮福線」でもいいような気はしますが、Y字に考えて宮津駅を中心した方がわかりが良い! 市名でもある宮津の立場がないしね

停泊中の「丹後の海」車両を見ながら出発
コミューター車両といい、可愛らしいデザインのものが多いですね
由良川を渡ります!(丹後神崎ー丹後由良間)

 艦これ立て看にもなっていた軽巡洋艦由良の名前の由来となった由良川を渡ります(ゆらゆらしてるな)。あまりにも開放的な写真を見て分かる通り、近くに由良川を渡る橋がありません。線路を通す橋しかない。

周辺地図

 なんと地図を見ると、今渡っている赤矢印の地点から、青矢印まで橋らしきものがない。駅名の通り由良川の東側が舞鶴市神崎、西側が宮津市由良なのですが、両者の行き来はあまりないのだろうか……
 そんなことを思っているうちに14:20ごろ、天橋立駅に到着です!

可愛い色合いの駅名標だな

天橋立駅着(14:20ごろ)〜天橋立ビューランド

 天橋立駅に到着したら、荷物をロッカーに預けていざ天橋立ビューランドへ!

(ファビコンがワードプレスのままだ……)

道中にある智恵の湯

 智恵の湯を超えて少しするとリフト乗り場に到着。

ケーブルカーもありますがリフトが開放的でとても良い
低い位置では単なる松林にしか見えませんが……
徐々にその姿を表します……
登り切ってから振り返ると……
日本三景天橋立!

 と、やっとのことで天橋立を見ることができました。昨日来るはずだったんだぞ……ただ、平日なのに結構混んでいました。昨日(日曜日)来ていたらもっと混んでいたかも知れません。

各所に置いてある股のぞき台

 そして名物股のぞき台。これはどこか一ヶ所にあるのかと思っていたらさにあらず、園内の各所に設置されていてみんな思い思いのところで股をのぞいていてなかなかシュールでした。覗きついでに写真を撮っている人たちもたくさんいたのですが、スマホを逆さに掲げても写真は逆さにならない……

さっきの写真を回転させてみた

 これは見るのではなく体験するべき代物だと思います。天橋立の画像なんて探せばめっちゃ出てきますし、何なら「(画像で見たことあるものが)マジでそこにある!」くらいの体験で終わってしまいがちな名勝巡りが、この謎の鑑賞法のせいで体験すべきアクティビティになっている。
 頭を下げて天地を逆転させ、気持ち空へ意識を向けると、空が海なのか、海が空なのか曖昧になって一体化し、天橋立が空に浮かんでいるような、不安定な体勢も相まって空に吸い込まれていくような、そういう幻想的な体験でした。天気がマジでよくて雲がほとんどなかったのが、空に落ちていくような感覚を加速させました。雲が多少あった方が、雲が島になり空が海になり、海が空になり、天橋立は空を飛ぶ龍に見えたのかも知れませんね。

各所に設けてある「股のぞき台」の上で股をひらき頭を深くさげていると、だんだん頭に血が充血して目が廻るようになり、まさに天橋立が幻想的に紫紺の空につづくようになる。

園内設置の「飛龍観」の由緒書きから抜粋

 ビューランドにある飛龍観回廊に登ります。これは山の上にさらに展望回廊を設けたもの。ここからの眺めが最高でした。

回廊の上から捉える天橋立
(iPhone15Pro メインカメラ — 24 mm ƒ1.78)
回廊の上から捉える天橋立
(iPhone15Pro 望遠カメラ — 77 mm ƒ2.8)
パノラマ撮影に挑戦

 こうしてみると謎の地形ここに極まれりと言うところですね。京都府のホームページや宮津市公式noteによると、阿蘇海(天橋立の西側の内海)と宮津湾(東側の日本海に面した湾)の海流がぶつかり合い、砂州が形成され、そこに自然発生的に松林が形成されて今のような形になったと考えられているよう。

 宮津市公式noteに貼られている画像がわかりやすいですね。謎の地形といえば、天橋立によって宮津市の市域の形は超絶ユニークになっています。

https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=112025133 より引用

 赤が宮津市ですね。宮津湾のあっちとこっちに広がる市域が天橋立だけで繋がっている! これは橋ですわ……。天橋立の此岸と彼岸が合併したのかと思いきやそうではないようです。じゃあなんだってこういう市域になったのか……

Appleマップによる

 阿蘇海の西岸に与謝野町役場があって宮津市域ではないことがわかります。また、地図を見ると他にも気が付くことがありますね。天橋立に六角形のマークがついています。これこそが日本の道100選が一つ、京都府道607号天の橋立線! ただ、それよりも海水浴場のマークがあるのにぶったまげました。天橋立と海水浴全然結びつかねぇ……

智恵の輪からのぞく
輪の右下あたりが海水浴場のようです

 ビューランドを降りて対岸に渡りましょう! 下りもリフトかケーブルカーか選べますが、迷わずリフトを選択。飛龍が徐々に松林に変わっていく様は一見の価値あり。

京都府道607号天の橋立線(15:30ごろ)

 さっきから写真に阿蘇海を進む船が映っていますがあれが遊覧船。遊覧船の桟橋で自転車を借りました。片道自転車・片道遊覧船のセットチケットが売っていて、砂州を渡るサイクリングと、遊覧船をどちらも楽しむことができます。

今回のお供
タイヤが街乗り用よりぼこぼこしていますが、天橋立線は砂利道になっていました

 いざ渡る前に、小天橋(廻転橋)が廻転する様子を見ることができました。天橋立の根元(文殊地区から見た場合)は完全には繋がっていなく、阿蘇海と宮津湾をつなぐ水道になっているのですが、そこにかかる橋の一つが船舶の往来の度に90度回転して水道を開けるというもの。

閉じている
廻転橋の位置

 むしろなんで繋がっていないのか、これも謎極まる地形だと思いましたが、少し考えると当然ということがわかります。海流がぶつかり合う境界に砂が溜まり、こうして弓形の砂州が形成されていますが、もしも砂洲が繋がってしまうと、阿蘇海と宮津湾が隔てられてしまい、阿蘇海に注ぐ河川から流れてくる砂礫の行く先がなくなります。そうすると阿蘇海は埋め立てられてしまい、この奇跡のような地形は形成されなかったことでしょう。
 橋を渡り、天橋立内(?)を自転車で進みます。京都府道607号天の橋立線は、歩行者•自転車と小型の二輪車の通行が許可されており、自動車は入れません。
 天橋立内(?)には日本三景の碑や与謝蕪村の句碑、天橋立神社、芭蕉の句碑(偽)がありました。

「日本三景碑 丹後天橋立 陸奥松島 安芸厳島 爲三處奇観 寛永二十年 日本国事跡考 林春斎」とあります
神社がありました
芭蕉の句碑(偽)

芭蕉が天橋立に遊んだ証拠もなく、橋立を詠んだ確かな句もないが、宮津の俳句を楽しむ人々は、芭蕉の塚がないのを残念に思い、この句を選び、江戸時代、1767年に文殊堂境内に句碑を建立。その後、ここに移設。
『一声の江に横たふやほととぎす」

Apple写真 文字起こしによる

 「江」=隅田川のことらしいです。ホントに天橋立関係ないやんけ!
 芭蕉好きが高じて芭蕉の句の中から情景が重なるものを持ってきたらしい。与謝蕪村の句碑がありましたが、それでは足りなかったというのか……

 天橋立ビューランドの対岸にも、こちらには「傘松公園」なるビュースポットがあり、これもケーブルカーかリフトで上がることができます。どうしてもケーブルカーではなくリフトで上がりたかったのですが、リフトの営業時間は16:00迄! 結構時間がギリギリで、それなりに自転車をかっ飛ばす必要がありました(安全第一! 歩行者優先!)
 基本は松林の中を突っ切る砂利道ですが、時折視界の両側に海が見えるのがかなり奇特な体験でした。松林のおかげで林道内は風があまりないので汗だくに。
 渡りきったところで15:50ごろ。かなり焦りながら自転車を返してリフトの府中駅へ向かいます。

傘松公園(15:55ごろ)

 間に合いました!

ケーブルカー府中駅
こちらも高度を上げるにつれ徐々にその姿を見せていきます
登りきったところでパノラマ撮影に挑戦
これが転落事故を起こしたところか!
覗いてみました

 というわけでこちらが「股のぞき発祥の地」とされる傘松公園です。転落事故の報道や、上の記事のような注意書きの話題が多くて股のぞき台は一台しかないのかと思っていましたが、ビューランド側に何台もあるほか、傘松公園側にも他に何台もありました。ここだけことさらに危険なのか? と思ったら事故が起きたのはここじゃないっぽい……?

 それはそれとして、傘松公園よりさらに上に、西国二十八番札所である成相寺があり、登山バスで登ることができます。もう結構いい時間なのでそこまで行きませんでしたが、傘松公園より少し上がるとひらけた場所があり、そこの見晴らしが非常に良かったのでおすすめです。公園だけで終わらせず、余裕があれば上がってみてください。そこそこ石段を上る必要があります。

北側から天橋立を望む
(iPhone15Pro メインカメラ — 24 mm ƒ1.78)

 上がったところで撮影。内海に面している側だからか、砂浜が全くなくて一筋の松林が海を二つに隔てているのはかなり不思議な光景でした。あそこを自転車で突っ切ってきたんだよなと思うと尚更。
 そしてそこには古いお土産屋さんがありました。入ってみたら「ここまで登ってこられる方そんなにいないんですよ」とのこと。「股のぞき発祥の地」はそのお土産屋さんの前にある石造の台で、その台は江戸時代なり明治時代なりからそこにあるとの話を聞かせてくれました。

写真を撮らせてもらえました
写真として残る最古の股のぞきだそう
股のぞき発祥の地

 ブラタモリでタモリさんもここで股のぞきをしたというのはお土産屋さんの弁。

のぞいてみます
(iPhone15Pro メインカメラ — 24 mm ƒ1.78)

 こちらは「昇龍観」と例えられるようですが、龍かどうかはよく……。本州側を向いているので空と海が完全に隔てられるため、「飛龍観」に比べると空と海が混ざり合うような幻想的な感じはそこまでしません。これは橋だな。しかし手すりもない石段の上で股のぞきするのかなり怖かったです。空に落ちる感じがすごかった。
 お土産屋さんでサイダーを飲んだら別れを告げて傘松公園を下ります。帰りはリフトがすでに止まっているのでケーブルカーで降りました。

天橋立観光船(16:40ごろ)

 往路自転車帰路遊覧船チケットにより、遊覧船で戻ります。

丹後海陸交通
反対向きの遊覧船とすれ違います
屋上デッキではえびせん(カモメの餌として売っている)を撒いているお客さんがたくさんいて、終始カモメと同行していました
廻転橋が開いている様子

 そうして景勝地を満喫したら天橋立駅に戻ります。遊覧船を待つ間に大阪市内への経路を調べていたのですが、どう頑張っても21:00を過ぎる到着で乾いた笑いが出るほか、東海道線遅延の報が物騒過ぎました。しかも、どう検証しても一日目の往路に予定していた宮津ー福知山ー宝塚経由大阪行きの経路が取れなくて迂回(むしろ短絡)ができないという(高速バスで真夜中に着くとか)有様。せっかく線路が繋がっているのに来た時とあまり変わらない経路を取らざるを得ないのは少し悲しかったです。

他に経路があるのか調べてももっと遅いのしかなかった
各駅の時刻表を見比べても厳しい

天橋立駅発(18:09)

 17:00くらいには天橋立桟橋に到着し、途中でお土産を買ってから天橋立駅に移動します。引き続き経路の検証を進めるのですがダメで、諦めて特急はしだて8号で京都を目指すかと思ったところであることに気が付く。
「何か変わった特急車両での運行があるかもしれない……」
 そこで京都丹後鉄道のサイトを見てみると「丹後の海」という特別デザインの特急車両があるらしい! というか舞鶴からこっちに来るときに車窓から見たやつだ! どうやら丹後地方を含む京都府の北部地域は「海の京都」と銘打って京都市内に完結しがちな京都観光客を誘致しようとしている模様。舞鶴赤れんがパークにも「海の京都」ロゴがありました。京都丹後鉄道の深いブルーに塗られた「丹後の海」もそのコンセプト作りに一役買っていそうだな。
 にしても「海の京都」は「もう一つの京都」「京都市内に比肩する」などとがっつり書いているのがなんというか。これって、北部京都は京都じゃないって言ってる……?(京言葉を深読みする他所さんの図)

 切符を買うときに窓口で「丹後の海車両ですか?」と聞いてみたら(今落ち着いてサイト見ると聞くまでもなく運行情報掲載されてるぞ……)、「丹後の海車両です」と力強く言い切られました。これで「観光列車に乗る」という目的を新たにセットして腹を括り、切符を購入しました。最悪、京都ー大阪間で遅延や運休があってもその二都市間ならどうとでも移動手段があるでしょう。。
 切符を買ったら駅のベンチに座って待つことにしました。お土産をロッカーから出したリュックに入れたりして。天橋立桟橋の近くにあるお寺、智恩寺に参拝してもよかったなと今となっては思うのですが、まぁ疲れてたんでしょう。智恩寺の前にはお土産屋さんが軒を連ねているのですが、自転車で傘松公園方面を目指した時間帯の賑わいとは打って変わって静かになっていて、「みんな帰り始めてるんだ」感がすごかった。

特急はしだてを待つ間に普通列車を見送る
あれは丹後あおまつ号かな?
「丹後の海」車両!
丹後の海車両は随所に木材が使われていて温かい雰囲気(だいぶくたびれてるけど……)
車両の端にフリースペースがありました
久しぶりのレーンちゃん
ラウンジはいい雰囲気なのですが、特急はしだては全席指定なので使用者がいない
座席にも木材があしらわれ、窓枠も木枠になっている

 帰路の経路図です! 往路は特急まいづるで京都を出て綾部駅でスイッチバックしてから舞鶴方面へ向かいましたが、今乗っているのは特急はしだて。福知山駅から東に向かい、綾部駅で舞鶴方面からやってきた特急まいづると連結します。

本当は東舞鶴から天橋立も入れたかったんだけど、一筆書きじゃない経路図は作れなかった
フリースペースの先が連結されました

 福知山駅を過ぎ、綾部駅を出発する頃にはもう完全に外も暗くて景観もへったくれもないので本を読んだり寝たりしていました。ただ、新幹線や飛行機ではなく在来線の電車で、線路から伝わる振動を感じながら暗闇に閉ざされていく車窓を眺めるのはかなり好き。あゝ旅情。

京都駅に到着

京都駅着(20:21)

 ということで京都駅に辿り着きましたが、ここから大阪駅に向かいます。乗車賃が高くなってしまうのも承知で一回改札の外に出て京都タワーだけでも拝む、という手もありましたが、まぁ京都市内観光は他に機会があるだろう。目もくれず東海道本線に乗り換えて(動いてた!)一路大阪へ。車内では座れずに立っていましたが、月曜日なので周りはみんなスーツのサラリーマン。遊んできた私より座りたいだろうなぁ。
 そうして大阪駅でOsakaMetroに乗り換えて大国町を目指します。大阪駅から御堂筋線梅田駅が微妙に離れてるし行き方がちょっと謎だった……

宿泊先着(21:45ごろ)

 三日目の目的地が海遊館なので、ベイエリアに程近い大国町駅付近を宿泊地に定めていました。本当は二日目は東舞鶴で海上自衛隊の艦艇を見学した後、余裕があれば西舞鶴の城下町を見て、早めに大阪に戻って何か美味しいものでも食べてるつもりだったのですが、3つ目的のうち、東舞鶴観光と天橋立が二日目に詰め込まれた結果それどころじゃなくなってしまいました。天橋立から戻るときは遅延・運休情報のせいでさらにそれどころじゃなくて、特急はしだての中で食べるお弁当を買ったりもしなかった。気づけば赤れんがカフェでホットドックを食べたきりに……! 悲しいかな、コンビニで食料を調達して夕飯に代えたのでした。

つづく

 というわけで京都・大阪旅行の二日目はめっちゃ詰め詰めでしたが、やりたいこと全部やった大満足の1日となりました。記録も一大記録になってしまいましたね。10,000字を超えてしまっているし、写真の数が……。お付き合いいただき、本当にありがとうございます。
 急遽予定を切り替えてこんな旅程になりましたが、思えば京丹後鉄道で由良川を渡るところ、一日目に消化していたらもう日が暮れてて車窓が見えなかったかもしれない。逆に丹後あおまつ号に乗れて、観光列車の中からもっとよく海(河口)を見られていた可能性もありますが……。まぁ結果オーライで何よりです。
 では次の三日目の記録でまたお会いしましょう。

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