日記 【オーストラリアの都市封鎖に思うこと】
こんにちは。
以前、読書日記で故伊藤計劃さんの『ハーモニー』というディストピアン小説についての感想を書いた。
先週末オーストラリアの各地で行われた、ニューサウスウェールズ州でのロックダウン(都市封鎖)に反対するデモについて、殆どのメディアではさらっと取り上げているだけだった。
全国紙である毎日新聞、読売新聞、産経新聞、日経新聞、朝日新聞で確認してみたが、朝日新聞と読売新聞に至っては、オンライン上では記事さえ無かった。
私はTwtter上で情報が流れて来ていたのだが、メディアがこういった都市封鎖や、ヨーロッパでのワクチンパスポート反対に対するデモの報道を殆どしない事に違和感を覚える。ちなみに、以下でメルボルンで行われたデモの様子が少しだけ見れる。
南オーストラリアでは、9月19日までの都市封鎖に関して、政府側の人間は
*どんな土地、ビル、建築物、車に対しても侵入が許される。
*人、動物、車の動きを阻止や指示出来る。
*人を隔離する事が出来る。
*人に医療の診察、テスト、治療を命令する事が出来る。
*情報を渡す事を人に強要出来る。
制服を着た警官の場合は、これらの権力を施行する際に身分証明書を提示する必要は無い。
これを見てどう考えても行き過ぎで権力の悪用と思うのは私だけなのだろうか?
小説『ハーモニー』の中では、人が自由に生きる事も死ぬ事も許されない。一人一人が全体主義の管理下、監視下に置かれ、全世界で唯一の政府に成り上がった国連が勝手に決めた、かと言って正しいわけではない、社会全体の為のルールに沿って行動する事が強要される。体の中にはウォッチミーというナノチップが入れられて、行動も感情も監視される。
社会全体の為に、というもっともらしい理由で個人の生まれ持った権利を侵害する風潮は、ナチスドイツでも起きて、ユダヤ人の大量虐殺が起きた。世界が変な方向に進み続けないように、悪夢は小説の中だけで終わる事を願いたい。
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