私たちの体は、食べたものでできているんです。「私の推し本のシリーズ13」
どうやら感謝されているらしい
昼間、用事があったので実家に行きました。用事を済ませて、帰りがけ、夕食を何にするかを問いかけたら、
母親が唐突に「昨日はお前がいなかったから、夕食は、冷蔵庫にあるもので、兄さんとテキトウに食べたんだよ。
そのせいか、自分も兄さんも、今日は腹の調子が悪い」と言いだした。
多分、便秘気味になっているのだ、二人とも。
さらに、「おまえがつくる料理はすごくありがたいものなんだと、兄が言っている。あいつの料理を食べていればきちんと便通がある、だから、すごく感謝してるよ、とあの子がいってる」と言う。
それを聞いて、すぐに、私の料理がいいものを作っていると言うより、味噌汁と野菜だなと、すぐに思いました。
この二人は、放っておくと、この大事な食べものを抜くクセがある。
母はもう年で、体がキツそうだし、兄は昔から、よく食べる人だが、栄養の偏りとか細かいことは気にしないタイプだ。要は、二人とも、めんどくさいのだ。
母親が3年連続で救急車で運ばれたのは、今から8年くらい前のこと。
以来、私が母親の食事を作っている。
朝の、モーニングサラダと夕食時の味噌汁は絶対に欠かさない。
味噌汁は出汁から取る。
継続は力なりで、3、4年前に受けた健康診断では、パーフェクトな結果が出るほど体は回復した。
「私たちの体は食べたもので、できているんです」
この言葉を聞いたのは、今から15、6年ぐらい前のこと。
それは、私が主催している「本の力」でゲストとして話していただいた、埼玉の主婦Yさんの発した言葉である。
なぜか、この言葉は私の胸に突き刺さった。
その時に、その言葉を挟んで紹介していた本を買って読んだ。
【天才とキンピラゴボウの作り方】
著者は、虚弱体質で生まれ育ち、18歳まで、ほとんど何も体に受け付けず、薬と注射でなんとか生きてきた。
そんな著者が、玄米を炊いて食べる講習会に参加した。
ここで、自分で玄米を釜で炊き、食べることを経験する。
講師が「玄米は1000回噛んでくださいね」というから、生真面目な著者は真剣に噛んだそうです。
しかし、実際には1000回も噛めない。
100回を超えたあたりから、玄米は徐々に溶けていってしまうのだ。噛んでいるつもりでも、ドロドロになった玄米は、喉の方に勝手に流れ落ちてしまったらしい。
少しずつ飲み込むことになった。
著者は、この年まで、何を食べても戻してしまっている。
それがあったので、恐々だった。
何分か経過する。
胃に玄米が届いているはずだ。
しかし、戻ってこない。
次々と飲み込まれていく玄米。
やがて1時間後には、自分の体の中からジワジワと力が湧いてくるのを感じた。
どうやら、著書の体は玄米を受け入れたようだ。
著者はめっちゃ喜んだ。
これだ、これなら食べれるし、元気になれる!
しかし、家に帰ると両親の猛反対にあう。そんなもの食べても体は良くならない、今まで通り薬を飲んでいきなさい、
と説得しにかかった。
著者は、玄米と釜を抱えて家出してしまう。
と、ここから、著者の女版冒険物語のはじまりとなります。
まあ、面白かった。
こんな人生があるのか!
こんな子育てがあっていいのか!
と、ページを繰る手が止まらない。
夜中の2時から読み始めて、朝までかけて、一気読みしてしまいました。
その中心にあるのは、食と子育て。
面白おかしく、一晩で読み切って
私は「食」に覚醒しました。
このすぐ後から、自炊を始めることになります。
最初は自分の一人のために、作りました。
やがてそれが、兄と母の体まで助けることになったのでした。
あの「私たちの体は、食べたもので、できているんです」の言葉と
この本のおかげで、私たち家族三人の健康は、保たれてきたのだと思います。
この本も天才を作るかもしれません。
書く習慣。