仕事が終わらないときの意味付け
この記事は2023/09/15に配信を行なったメルマガの転載です。
皆さん、こんにちは。
株式会社エスノグラファーの神谷俊です。
いよいよ明日から3連休ですね、皆さんはどこかにお出かけするのでしょうか。我が家は、栃木→東京→愛知と様々なイベントに出かける予定です。
最近はかなり忙しいので、体力的に消耗しています。コロナウィルスの感染も拡大しているようなので、体調を崩すことなく過ごせればいいなと思っています。
さて、今回のコラムのテーマは「仕事が終わらないときの意味付け」です。
連休前に、仕事を終わらせようと思ったけれども、区切りがつかなかった皆様にぜひご一読いただければと思います。
仕事が終わらない
今日のような連休前は「仕事を終わらせなくては」という思いが強くなります。
明日からの3連休を家族や自分のために使いたい。
だからこそ、今日中に仕事に区切りをつけたい。そんな気持ちです。
今日も早朝から仕事を終わらせるために頑張ってきました。タスクリストに書いてある内容すべてを完了させたい。そう思って集中してきたつもりです。
しかし15時になったのに、タスクは1つとして完了していません。
自分でも驚いてしまいます。どうしてでしょう?
要因は、仕事の合間に差し込まれる細かなタスクやイレギュラーです。
例えば、急な問い合わせや相談依頼が来たり、買い換えたばかりのPCが不調になったり……といったイレギュラーです。
どうやら今日中にすべてを終わらせることは、難しそうです。
無数の変化のつながりの中にいる
このような時に、私は「バタフライ・エフェクト」のような現象を想起します。大きな世界のなかで生まれる無数の相互作用や変化を想像してみるのです。
このイレギュラーは、どこからきたのだろうか?
そのように考えてみると、自分が知覚できないほど広大な世界が「外」に広がっており、小さな無数の変化の連鎖のなかで生まれたイレギュラーであることを改めて理解することができます。
そして、そのドミノ倒しのような無数の変化のなかの1つに、自分の仕事が埋め込まれていることを改めて実感をします。
「私は、ドミノの1つに過ぎない」
このようにイメージをしてみると「今日中に仕事を終わらせたい」という自分の希望がいかに視野が狭く、思い上がったものであったかに気づきます。社会とつながっている以上、「外」からの影響が発生するのが当たり前ですし、それらをコントロールすることはできないからです。
例えば、問い合わせが来ることを想像できたでしょうか?できるはずがありません。私は、顧客先の担当者がどのような利害関係や思考・心理で働いているのかを知らないし、そこにどのような変化が生まれたのかを知る術はありません。
では、PCの不調を予期できたか?これもできるはずがない。自分のPCがどのようなシステムで起動していて、いまどのような状況なのかを全て見通すことはできません。
自分にとって「イレギュラー」に見える事象は、社会から見れば、必然的・日常的に発生しうる事象だったのでしょう。それに自分の仕事の進捗が阻まれてしまったからと言って、自分が嘆く必要は全くないのかもしれません。
導き出される結論はいつも決まっています。
自分は、このあらゆる「イレギュラー」が巻き起こる社会の中で、
期日に向かって精一杯の努力をしていればいい。
あとは、きっとこの仕事は終わるべき時に終わるはずです。
今日、精一杯がんばったなと思えたのなら、きっとそれで大丈夫なのでしょう。
今回は、以上です。
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