セレンディピティと向き合う
この記事は、2023年2月3日に配信したメルマガからの転載です。
皆さん、こんにちは。
エスノグラファーの神谷俊です。
今週末は立春ですね。先日、自然公園に行ったのですが、脇にある河津桜の林を見やると、枝の先の方に1つ2つばかり開花しているところがありました。
こういう春の到来を目にすると、寒さに震えながらも次の季節を迎える気持ちが少しずつ膨らんでくるものですね。今年の花見はどこでしようか、と家族で話しました。
さて、今回のメルマガのテーマは「セレンディピティ」についてです。私を前に走らせる概念であると同時に、私に様々な葛藤や苦悩を持ち込む概念でもあります。
セレンディピティと「完了」目前の自問自答
セレンディピティ(serendipity)は「(地道な探索の先にある)偶発的な発見」という意味で用いられることが多い言葉です。偶然から大発見をした偉大なる科学者(ニュートン、アルキメデスとか)たちを指して「地道な研究の先には幸運がある(かもしれない)。だから、地道なことを頑張れ」といった具合です。
私は、公式的には既に研究者という肩書は下ろしているし、ビジネスの領域に大きくリソースを投下している。だから、セレンディピティを追究するような姿勢よりも、生産性や効率性といった概念と仲良くするべきなのでしょう。
ですが、この言葉はときおり私の頭に下りてきて「それでいいのか?」「それであなたは自らを全うしていると言えるのか?」と問いかけるのです。
たとえば、顧客企業の大規模調査などをしたときです。相当なる時間とリソースをかけて、収集したデータや情報の海をザブザブと泳ぎ回り、顧客にとって有益な示唆を見つけていきます。
報告書も全体を構成し、一旦の「完成」イメージが見え始めた頃からモヤモヤが生まれてくるのです。もちろん、本音を言えばどこまでもその「海」のなかにいて、文献を調べたり、分析をさらに深めたりしていきたい。
しかし、そうはいかないのが現状です。
私が経済的・社会的な人間であるためです。
「納期」「納品仕様」「契約金額」などビジネスの諸条件や、
他案件の顧客企業のご担当者の顔、さらに「夕食係」「お風呂掃除」「寝かしつけ」など家庭業務や娘の笑顔……等々、
これらが脳裏を横切り、「もっとやりたい」「もうやめなくちゃ」の相反する思考が去来するのです。このような自問自答は、他の場面でも生まれます。たとえば、講演スライドの作成です。
依頼テーマがあり、既に作成したスライドを見直したり、また改めて文献にあたるなどをしているうちに、「きちんと調べて1からつくり直した方が、顧客ニーズにフィットするんじゃないか?」という気持ちが強くなっていきます。そしてまた、様々な人の顔が浮かんでくる……。日々、この繰り返しです。
このような自分への問いかけは、困ったことに、どれほどタスクの納期を長くして、時間をかけて調べ上げても必ず生まれてくるのです。
良く言えば、私の知的好奇心は無限なのだと言えますが、その好奇心に付き合わされる私はいつも葛藤のなかにある。人間とは矛盾する生き物ですね。
とはいえ、ニュートンにはなれない。
セレンディピティの恩恵を受けた研究者として、著名なのがアイザック・ニュートンです。
彼は、子供の頃から化学に没頭し、家業であった農作業をほったらかしにして、「産めよ増やせよ」の社会的要請が強い時代のなかで、家族を構成することなく、探究を続けていきました。リンゴの落下1つで閃きが生まれる境地に辿り着けたのは、他の人々が当たり前のように選択していたソレらを選ばなかったことも影響していると私は思います。
私は、ニュートンのような選択をする気持ちがないわけではない。もう何回かの人生があるならば、飽くなき探究をしてみたいという気持ちがいつもどこかにあります。
とはいえ、現世においては家族を構成し、ビジネスを手掛け、自分の手や足で選んで「いま」をつくってきたわけです。ここに何も後悔はないと、その足跡をみて確信をしている。
であるならば……
セレンディピティを満足するまで追い求め続けることができない今の状況や、そのなかで藻掻いている自分こそが、ある意味でもっとも自分らしいと言えるのでしょう。
そして、さまざまな制約や藻掻き、不足感があるにしても、現時点の自分が到達できたその時点までが今の自分がつくることができる最高地点であろう。という一旦の結論に到ることができます。
全ては自分が選んで進んできた道です。「選ばなかった(そして今の自分では選べない)道」が脳裏をかすめて、少しの憧憬も抱くけれど、それも含めて自分がつくってきた人生なのだろうと思うのです。
本当はもっと力を注ぎたいし、注いだ先にはセレンディピティが生まれるかもしれません。でも、注げない自分も愛しているので、きっとどこかで私は探究を切り上げるのでしょう。
モヤモヤしたり、もっとできるという気持ちに葛藤する日々は続きますが、色々な想いを抱く多様な自分を大切にしながら、自分らしくあれる毎日を積み重ねていきたいと思っています。
自己の内面を曝け出して記述するコラムになりましたが、最後までお付き合い頂き有難うございました。葛藤のなかにいらっしゃる誰かの共感や内省を促すことにつながっていたら嬉しいと思います。
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