
ヤクザからの招待状
東日本大震災。
数か月後、私はボランティアとして東北にいた。
夜に東京を立ち、高速を飛ばし、朝方に着いた。途中、朝もやに煙る田園、宮沢賢治の田園は、あまりにも美しかった。しかし、三陸海岸に近づくと一変する。瓦礫の山だった。
防風林は潮に浸かった。あらゆるものが流れ着き、松林を覆いつくしている。まずは除去し、清掃し、再生するための準備をする。
10人ほどの大人に加えて、高校のラグビー部が応援に来た。屈強な若者が海水を吸った重い漂着物を運び出すのだが、ひとりがささくれで出血し、急遽、車で病院に搬送された。
道向かいの旅館は一階を波で無残にえぐられていた。従業員が津波にのまれたという。女将が私たちにジュースを差し入れてくれた。
堆積した漂着物を掬って取り除くのにも神経を使う。遺体に当たるかもしれないからだ。異臭が漂うなか、漂着物をひたすらに、しかし慎重に掬う。写真など個人にとって大切なものが見つかるかもしれない。
私は一枚の紙きれを見つけて泥をぬぐった。一枚の葉書だった。
それは、釜石の暴力団からの襲名披露の葉書だった。毛筆のフォントで、役職と人名がずらりと縦書きされている。宛名は書かれていない。
同情ではなく、彼らのしのぎに思いをはせた。組事務所も流されたのだろうか。収入源は断たれたであろう。しかし、彼らはヤクザである。新たなしのぎを復興の名のもとに見つけるはずだ。
ほろほろとした一枚の葉書をどうしたものか、しかるべきところに提出するべきなのか、海からの風に吹かれてひとり思案していた。
人をさらった海は、碧く静かだった。
やがて私は、泥のように眠った。