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恵比寿ガーデンプレイスでビールを飲んでいた。同席した女性は医療従事者だった。「村上春樹と ELLEGARDEN が新作を出してくれれば、私は生きていけます」。そう言った彼女に危うさを感じた。新作が出なければ、生きていけない。
自分自身が生きている、生きていけると実感した瞬間を顧みるとき、私は水を想うのだった。渓流には浅いところと深いところがあり、流れの速いところと遅いところがある。淵は思いのほか深い。飛び込むと想像よりも恐ろしく、クリアである。
身を切るような冷たさ、鼻腔に入る水のツンとした痛み、鼓膜に伝わるキュポキュポという音。自らが弾き出したであろう気泡、くの字に折れた身体、重力と浮力の均衡。
小説家もミュージシャンも、有機物である。死と同時に腐りはじめ、火葬までドライアイスを交換しながら冷やしつづけなければならない。無機物は腐らない。だから、塩には賞味期限がない。
水は無機物である。降り注ぎ、地中に浸み込み、ミネラルを抱き込み、濾過され、源流に至る。生命を育み、有機物を含むが、常に流れている水は腐らない。そして、捕捉されない。
イワナが棲むような深い淵に飛び込んだとき、漠とした感謝の念を抱く。その対象はわからない。人ではなく、神でもない。「死のような生」に包まれて私は安らぐ。よく頑張ったじゃないか。かすかな原始の聲を聞き、ケロイド状の私は冷やされていく。
マングローブの森のせせらぎを8時間流し続けるコンテンツをポッドキャストで聴きながら、眠りについた。夢を見ていた。トイレで放尿しているのだが終わる気配がない。この膀胱はどうなっているんだ。勢いが止まらないじゃないか。目覚めたとき、嫌な予感は的中した。布団も身体もずぶ濡れだった。
現実を受け入れられずに唖然とし、やがて恥ずかしさに襲われた。大人になってこんなことになるとは。誰にも見られず、ひとり暮らしで良かった。膀胱をつかさどる神経も筋肉も、心地よい呼び水に任務を解かれ、放流したものと思われる。
あるがままの姿で、私は横たわっていた。