コーチングを受けて改めて自分にとってのエシカルとは何かを考えた
「コーチングのクライアントを探しているんだけど、圭子さん、良かったら受けてみませんか?」
4月下旬、友人からのLINE。その文字を見て、瞬間的にドクンと胸が高鳴った。
コーチングがどんなものかということはある程度は知っていた。彼女以外にもコーチをしている友人が何人かいたし、自分でもコーチングに関する本を読んだことがあったから。だけど、これまで自分がクライアントとして受けてみたいと思ったことは正直なかったように思う。あまり自分のことを人に話すのが得意ではなく、普段から何かを人に相談することも滅多にない、というのが一番の理由で、自分の内面をさらけ出した挙句、あれやこれや言われることにも抵抗があったのだと思う。(実際、コーチング中にあれやこれや言うようなコーチはあまりいないのだろうけれど…)
だけど、この時ばかりは違っていた。
「ぜひ受けたい!」「よし、すぐにお願いしよう!」
その友人から詳細を聞くまでもなく、自分の中でクライアントを引き受けることを即決していた。
そして、話は少し遡って。
エシカルに関わることをやっていきたいというのは昨年秋頃から漠然と考えていた。でも、なかなか重い腰を上げることができず、日々時間だけが過ぎていく。あまり深く考えずに、パパっと始めてしまえば良いのだろうけど、自分のことになると慎重になりすぎる癖があり、内側から湧き上がっては消え、湧き上がっては消え、を繰り返す不安や恐れを払拭できずにいた。「エシカルについてそもそも専門家でもないのに、いきなり発信とかしておかしくないかな」「私なんかがエシカルを語るなんておこがましいのでは」などとグダグダ考えていると、どんどんできない理由ばかりが浮かんできて、収拾がつかなくなっていく。客観的にみれば、どれも単なる言い訳でしかないのだけれど。
「よし、春は新しいことを始めるのにぴったりだし、4月からにしよう!」と決意表明だけは一丁前にするものの、4月に入ってからも相変わらずのらりくらり。そんな中での友人からの連絡だったのだ。これはもういつまでも行動にうつせない私に、神様が仕向けた使いが来たのだと直感的に感じた。そしてそれを断るという選択肢は私にはなかった。それが二つ返事でクライアントを引き受けた理由。やっぱり物事にはタイミングってあるんだな、と。
そんなわけで、ちょうどゴールデンウィークからコーチングセッションを開始することに。ペースなどはこちらの都合を配慮してくれて、これまで隔週でお願いしている。セッションでは毎回、こんがらがった私の頭の中を整理させようと、もしくは新たな視点や気づきを与えようと、自分では思いつかないような角度から質問を投げかけてくれる。さらに毎回、宿題がいくつか出されるおかげで常に自分と向き合う時間を持つことができている。セッションを受けてモチベーションが上がり、日が経つごとに少しずつそれが下がっていき、またセッションで上がる、という、この上がり下がりの波はもちろんあるのだけど、その周期が2週間で流れていく、というのが丁度よいペースメーカーになっていて、本当にありがたいなと思う。
コーチングを受け始めて2ヶ月半が経ったところで、とても大切なことを考える機会を与えられていると感じたので、自分への備忘の意味もこめて、少しここに記しておきたい。
まず、エシカルなことについて発信していく目的と、それを私がやることの意味というのは、ここ数か月間ずっと考えて、悩んできたことだった。そのうえで、では自分はどういうスタンス・立場から発信するのか。上でも書いたように「専門家でもないのに…」とか「発信する以上はそれなりの知識がなければいけない」という変なこだわりや思い込みがあったことが、ずっとブレーキになっていた。そこから、そんなことよりも「低い目線で背伸びせず」始めれば良いのではないか、また、対象を「これまでエシカルにそれほど興味のなかった人やエシカル初心者」に絞れば、一緒に学びながら成長していけるのではないか、と考えを改めたことで腹が決まった。このことはnoteを始めたときにも少しだけ触れさせてもらった。
さらに、自分らしさを大切にしたいと考えたときに、「カッコよくスマート」なエシカルではなく、「泥臭く、ありのまま」を見せるということと、やっぱりどうせやるなら「楽しく」やっていきたいというのがあり、
『エシカル × エンターテインメント』
を自分のテーマ・方向性として掲げることにした。これはもしかしたら、大阪人特有のお祭り好きやサービス精神の旺盛さが関係しているのかもしれない。
(今のところ、全くエンターテインメント性のあるものを出せてはいないけれど、今後、そういうコンテンツを作っていきたいと考えているので、長い目でお付き合いいただければ。)
エシカルやサステイナブル、SDGsって、どうしても「マジメ・めんどくさそう・重い」といったイメージがあるし、実際、そういう内容を多分に含んでいるとも思う。そういったものを真っすぐに伝えることも時には大事なことだけれど、いつもマジメなものをマジメに、めんどくさいことをめんどくさいままに、重いものを重く伝えるのは、ちょっとしんどいかなと思うし、毎回そのエネルギーでは、お互いにカロリー過多になってしまう。そう考えると、「マジメ・めんどくさそう・重い」ものをどれだけ楽しく、軽やかに伝えられるかということに軸を置いて取り組んでいきたい。何事もうまくバランスを取りながらじゃないと、長くは続けられないだろうという思いもあり。そういう意味では、前回書いた吉本興業の取り組みはとても参考になるなぁと改めて。
ここから、具体的にコーチからもらった質問と、そこから自分がどういうことを考えたのかについて、いくつかご紹介したい。
Q1:なぜエシカルなのか?人に影響を与えたい、エンターテインメントを発信したいと言うなら、これまでの旅のエピソードを発信しても良いはずなのに、そうではなくなぜエシカル?
これを聞かれてまずパッと思い浮かんだのは、「成長」や「好奇心」の文字。エシカルの考え方や在り方を世の中に広めたい、啓発していきたい、の想いとともに、自分自身がエシカルを通して成長したい、知らない世界を知りたいという好奇心も強く持っているのだと改めて自覚した。また、自分のこれまでの旅の経験を発信するのであれば、自分の内側にあるものを出すだけの作業になり、どこかで枯渇してしまうけれど、それに比べてエシカルを発信することはインプットとアウトプットの両方が繰り返され、それによって自分の中で循環が起こる。この「循環」という言葉は今後の活動においても非常に大事なキーワードと考えている。
また、より難しいことに「挑戦」したいというのもエシカルを選んだ理由のひとつ。簡単に達成できるようなものではなく、自分も成長しながら、周りも巻き込みながら、世の中に影響を与えていく、そういった難しいことに長い時間をかけて挑戦していきたいと考えている。そういう意味では、エシカルそのものが持つ葛藤や複雑さと、自分自身の内側の葛藤や複雑さがちょうど重なっているようにも思う。
このことは、コーチからの「エシカルも圭子さんも発展途上。そこに相関関係があり、何かシンクロするものがあるんだろうね」という言葉からも窺える。
Q2:どんな発信をすることが私にとっての喜びか?
意外に思われるかもしれないけれど、喜びという言葉にあまりピンとこないというのが正直なところ。それよりも苦しみの方が大きいのではないかとすら思う。書きたいことを書きたいように書いているので、決して嫌々やっているとかそういう類の苦しさとは違うのだけれど。カッコよく言えば、生みの苦しみというものに近いのかもしれない。
ただ、喜びとはニュアンスは違うけれど、ホッとするというか、安堵感はひとつの記事を書くごとに感じている。自分の内側にあるものを無事に外の世界に生み出すことができたという安堵感。文章のクオリティが低くても、言いたいことが完璧に表現できていなくても、ちゃんと毎回、安堵感はあって、そのおかげで反省点を持ちながらもまた次に進めているのだと思う。
Q3:noteを書くことで何が得られるか。もしくはもう既に手に入ったものは?
始めたばかりなので、まだ具体的にコレと言えるものは無いけれど。
でも、わかりやすく何かを得たということよりも、3年ぶりに文章を書くことを再開できたというのが、自分としてはとても大きい。
(実はこの3年間、何かを書くということが全くできず、ずっと目を背けていて、とても苦しかったという経緯があり…)
語彙力や構成力が落ちていたり、書く時間が以前よりかかっていたり、はあるけれど、まずは書くことに向き合えるようになって良かったと心から感じている。(Q2の安堵感はこういうところからも来ているのかもしれない。)
そして、一歩ずつでもちゃんと前に進めているなと感じられているのも、noteを始めたからこそ。
Q4:発信するうえで、気を付けていることは?
外に向けて書いている以上、わりといろんなことに気を付けているつもりではあるけれど、一番は、「偏らず、バランスをとること」「中立性を保つこと」かなと思う。自分の考えや主張は入れつつも、それを正当化するとか押し付けるとかではなく、あくまでも私の記事が誰かにとっての考えるきっかけになったら良いなと思っているので。そしてだからこそ、誠実に、かつ熱量をこめて書かなければ、とも。
(あとは、エシカルを扱っている以上、情報ソースの正確さにも注意を払っているつもりですが、もし何か間違いがあった場合はごめんなさい…)
他にもまだまだコーチからの鋭い質問や、それによる気付きや発見はあるけれど、もう少し自分の中で大事に育てたいものも多く、また時期がきたらぜひ紹介させていただきたい。
それにしても、今回こうして書いてみて、改めてコーチのありがたみを感じている。その役割は伴走者であり、良き理解者でもあり。
「答えは全てクライアントの内側にある」とは言いつつも、私の内側にある可能性という種を毎回さらりと引き出してくれる、その寄り添い方、在り方には驚きを禁じ得ない。
ついつい主観的になりすぎたり、視野が狭くなったり、バランスを崩してしまったりしがちなので。
彼女のサポートに感謝を忘れず、これからも目の前に伸びている道を一歩一歩進んでいきたい。
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