一語一得 生きるためにつかうことば
「はじめにことばありき」(新約聖書 ヨハネによる福音書より)
最初の記憶は、生まれて1歳になるかならないかのころ、母が子守歌かわりに読んで聞かせてくれた「聖書」のことばだ。
母は昔も今も信徒ではないし、父も無宗教で、親族一族の中でも敬虔なキリスト教徒はいないので、母がなんでそれをしたのか実に不思議だ。だが、記憶のもっとも最初のものが、このことばであることは間違いない。
いまだに「聖書」を通読したこともなく理解も乏しいが、このことばが「新約聖書」のヨハネによる福音の第一章の冒頭にあることは知っているし、このことばが好きだ。この経験がいまだに自分を強く縛っていると感じる。
つらつら考えてみるに、このことばの文字の意味として、人の記憶は「ことば」とともにあるように感じる。
もちろん記憶には「音」や「映像」、「香り」などもあるだろうが、このいずれの記憶にも通底するのは「ことば」で、「ことば」は記憶の芯を形作るものだと強く感じている。
母はいま88歳。ご多分に漏れず認知症になり、乳児の私に「聖書」を読み聞かせた理由を尋ねても「なんでかね~?」と少し微笑みながら答えている。