見出し画像

一語一得 生きるためにつかうことば

「美しい人!あなたはいったい誰なの?」パンドラが尋ねた。「わたしは、これから”希望”と呼ばれるようになるものよ」 ナサニエル・ホーソーン作 「ワンダー・ブック」から「子供たちの楽園」より

専用の本棚に「世界文学全集」が揃いで置いてあったくらい、父母ともに本好きだったせいで、自然と本好きになった。そのころ特にお気に入りだったのは、小学館の世界全集のなかの一冊、「バーネット集」だった。

いまでは見かけることもなくなった「世界文学全集」。装丁も凝っていて、この全集は泰西名画が表紙にあって、それもたいそう魅力的だった。たしかこの「バーネット集」は、ベラスケスの「白衣のマリア像」だったと記憶している。

母がよく一節を読み聞かせてくれたこの本。小学校にあがり、自分で読めるようになってから気が付いたが、この一冊にはF.H.バーネットのほかにN.ホーソーンの作品も収められていた。その小説の名は「ワンダー・ブック」。全章が収められていたわけではなく、いくつかの章が載っていたのだが、その中でも「子供たちの楽園」は忘れがたい。曲解に過ぎるかもしれないが、いわゆる”パンドラの函”の神話を子供向けにやさしく、読みやすくリライトしたものだ。

”パンドラの函”。言葉はよく知られているが、その実神話の本来の筋をしっている日本人は、案外少ないかもしれない。好奇心に負けて、禁忌の函を開けてしまう女の物語だ。本来教訓話だったのだが、子供向けもあってか、ホーソーンはそこに明るいエンディングを強調する物語に仕立てた。

子供の楽園の幸せな様子、そこに”開けてはならない函”という不安と好奇心を掻き立てる謎の存在。好奇心を募らせる主人公・パンドラ。開けてしまうのか、開けないでいられるのか、スリリングな展開に子供心は魅せられてしまったわけだ。

結局パンドラは好奇心の誘惑に勝てず、禁忌の函を開けてしまい、子供の楽園の永遠性=死なない、年を取らない、病気にかかったり、傷み、悲しみ、苦しみを感じないという楽園の特権=を失い、死や老いや病をこの世に開放してしまうことになってしまう。それでもその函の中から最後に出てきたのは・・・というシーンの一コマが冒頭のフレーズだ。

陳腐といわば言え。それでも感動的なシーンなのだ、このシーンは。濁世を数十年渡ってきた大人の頭で思うことだが、これだけしんどい思いをしてきて、人生の最後が悲しみでいっぱいであっていいはずはない。ここはやはり”希望”が残ってほしい。それは老い先短くなった今も強く思うことだ。

今、大学生になった娘には、幼いころから寝物語にこうしたジュブナイルな文芸作品を適当にアレンジして語って聞かせたが、今でも覚えているようで、時々「またやってよ」とリクエストされることがある。しかし、この歳になって、幼い娘が胸ときめかせるような語りはもはや出来もしない。いや、”希望”を見失ったわけではありませんよ。少し歳をとっただけですけどね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?