本の読み方、付き合い方について

本をどのくらい熟読すべきか、途中でやめるかは悩ましい問題。

でも最近、外山滋比古さんの乱読のセレンディピティで読んで確信したのはこの情報過多な時代においてはだいぶ読み飛ばしがあってもいいということ。人と同じ本を読むと気づくが、同じように人と自分の読み方は違う。はなからすべて覚えることはできないし、結局はそれを消化してどこかでエッセンスを使うのだから、最終的に一言二言こういう本だった、と言えればそれだけでいいんじゃないか。途中でやめても関係ない、そんな気がしている。

今の自分にその本を読む知識が備わってないこともあるし、違う状況で読むとより響くこともある。そう思うのは、小学生の頃、4年生くらいだったと思う、学校に来るカタログで選びわざわざ母に買ってもらった本が全然面白くなく何とか全部読んだけど、ちんぷんかんでなんともいえず腹立たしかった。そしてその本をそっと本棚にしまい、1年後懲りずに取り出して読んでみたらなんと奇跡が起こったのだ。ちょっと前には話の意味がわからなかったのに、たちまち話に感情移入して感動して泣いてしまった。確かロシアの話だったように思う。寂しげな話だった。でもこのときに、本には感動できる自分の素地も影響するなぁと思った。

それにしても、小学生の頃は親に言われて何回も同じ本を繰り返し読む習慣があった。この習慣で、一つの本を自然と工夫して読むようになった。さっと読む、舐めるように読む、音読する、感情をこめて読む、地の文だけナレーションする、セリフだけ読む…それぞれに味わい深く、同じ文章を読んでこんな話だったかと思ったり、日によっても一回たりと同じ読書だったことがない。毎回ワクワクしていたなぁ。

今は積読本が結構あるのでなかなか再読できないが、それでも昔から何度も読んでいる本はある。

そのとき理解できなくても気にしない。気にせず心を閉ざさないのがうまい本との付き合い方じゃないかなぁと思う。

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