非モテにとっての本当の救いとは

こんにちはなのだ。某アライさんの非モテオフ会第1期OBの得たイさんなのだ。

先の人生無理バーの記事に関連して、今回は非モテにとって必要な要素の話をするのだ。

得たイさんは「モテ・非モテ」という概念を良く思ってないのだけど、この記事では敢えて「非モテ」という言葉を多用するのだ。もっと最適な概念があると思うのだけど思いつかないのだ。

得たイさんの「非モテ」等に関する考え方はこの記事を参照願いますのだ。


人生無理バー炎上騒動のおさらい

まず、ざっくりとこの騒動の経緯と要因をおさらいするのだ。

経緯としては

・主催は元々運営ギリ層だった
・今回のバーで女性参加者への性被害があった
・その加害者男性がたまたま発達障害だった
・主催が発達障害男性という特定の属性を出禁に
・被害女性はこの出禁を良く思ってない
・場所を提供するエデン本店が店長権限で出禁無効に
・人生無理バー、無期限休止

とまあこんなところなのだ。そしてこの騒動が起きてしまった要因として、

・以前から出会い目的の参加者がいた
・弱者同士のコミュニティだった
・つまり参加者も主催も霊的に病んでいる
・自助会は歴史が浅い故にこの失敗が分岐点

という話を前回の記事で書いたのだ。そして、伝統ある自助グループの黎明期に実践者を出禁にしたグループのその後についてを例に挙げたのだ。

最終的な着地点として新たな記事が出ていたのだ。これを見る限りでは、

主催が出禁者以上に人生無理だったことがはっきりしたのだ。そして被害者意識丸出しだったのだ。
【追記】のちに判明したのだけど、この主催は開催予定の場所だったエデン京都の店舗と店長のTwitterアカウントをブロックする暴挙に出たそうなのだ。主催の人生無理度が発端の加害者男性とは比較にならなかったのだ。

結局のところ、この出禁騒動は霊的(スピリチュアル的)に病んでいる男女間の潰し合いだったのだ。病んでなかったのは被害女性だけだったのだ。


人生無理バーと出禁者、本質は双方とも「役者」

前回の記事からずっと、主催も出禁者も霊的に病んでいるという話をしているのだけど、霊的に病んでいる人の行動原理は、スピリチュアルを受け入れられないから自分の意志で突っ走ろうとするのだ。

このことについて、アルコホーリクス・アノニマスにはこうあるのだ。

初めに必要なのは、自分の意志で突っ走ろうとする人生は、うまくいくものではないと受け入れることだ。そういう人生は、どんなに良いことを目指していても、まず年がら年中、人との間に、あるいは何かのことで、ごたごたが絶えない。ほとんどの人は自分の力でなんでも進めて生きていこうとする。誰もが、何もかも取り仕切りたがる役者のようで、照明を、踊りを、舞台装置を考え、全部の出演者を、自分のやり方で動かそうとする。その人の演出どおりに、その人の望みどおりに配役が動いたときにだけ、芝居は上出来となる。その人は喜び、人生は申し分ないと満足する。こうした演出にかけて、わがアルコホーリクの役者はかなりの大家だといえるだろう。親切で、思慮深く、忍耐強く、寛大で、節度があり、献身的でさえあるかもしれない。あるいは意地悪で、利己主義的で、わがままで、不正直かもしれない。だがそのようなさまざまな特性を持ち合わせているのは、わが役者も多くの人たちも同じだろう。

まさに自分の意志で突っ走っているから、これまで人生無理バーで人生無理になってしまったのだ。それでも「役者」(監督ではない)であり続けようとしたから、発達障害男性出禁という横暴に至ったのだ。

続くのだ。

ではどういうことになるのか。その芝居は成功しないだろう。彼は自分は運が悪いと考え、もっとがんばろうとする。次の回からはよけい命令的になるが、あるいは愛想よくするかもしれない。それでも芝居は、彼の気に入るようにはならない。自分にも幾らかはまずい点があったかもしれないが、彼はそれ以上に人のせいにする。いらいらし、憤慨し、そして自分を哀れむ。では彼がかかえている根本の問題は、いったい何なのだろうか。彼は人に親切であろうと努めていた時でさえ、実は自分勝手ではなかったのか。彼は、自分で何もかも取り仕切っていれば申し分のない満足と幸福がつかみ取れるのだという妄想にとり憑かれていたのではないか。そして他の出演者はみんな、それを知っていたのではないか。そろって出演を辞退し、芝居をめちゃくちゃにして、彼に報復してやれという気持ちをみんなにさせたのは、彼の行動ではないのか。彼はどう見ても、協調よりも混乱の演出家ではないのか。

そしてこの「発達障害男性出禁」という横暴はうまくいかず、最終的に「人生無理バーという芝居」はめちゃくちゃになってしまったのだ。

出禁者も同じなのだ。自分の意志で突っ走る「恋人募集中という役者」であり続けようとしたから、彼らは問題を起こしてしまったのだ。

アルコホーリクス・アノニマスには、このきわめて頑固な自分本位の考えを捨て去る必要があり、それは神の助けなしにはできないことが記されているのだ。

「霊的(スピリチュアル的に)病んでいる」とは、自分本位な状態のことを言うのだ。自分本位どうしのぶつかり合いが、あらゆるいざこざを起こすのだ。

そしてその自分本位さは、アルコホーリクの「特性」とも書かれてるのだ。特性ならば障害や病気の症状なども含むのだ。例えばASDのこだわり、ADHDの多弁や過集中、双極性障害の躁状態なども入ると思うのだ。

非モテに必要なのは役者を降りること

先述のように、役者を降りるには自分本位な考えを捨てなければならないのだ。しかし非モテはそれを捨てる方法を知らないのだ。

しかし既に答えは出ているのだ。自分本位な状態が「霊的に病んでいる」のなら、やるべきことは「霊的に回復する」ことなのだ。これを霊的体験と言ったりするのだ。スピリチュアルが唯一の救いになるのだ。

前回も参照したreiさんの記事をもう一度引用するのだ。

それでは弱者同士の互助は不可能なのか?というと、私は必ずしもそうとは思わない。何故なら、弱者同士の互助が上手く回るのはどうようなコミュニティの形か?については、既に人類の歴史の中で答えが出ているからだ。

それは「宗教」と「闘争」の2つである。

宗教は文字通りの信仰心で「良い事をすれば長期的(死後含む)には超自然的存在が必ず応報してくれる」という合理性を信者間で共用しており、謂わば「思い遣り分かち合う事」という行動規範がインストールされている。

この途方もない合理性を、いずこかの未来に科学が証明してくれることは前回の記事で説明した通りなのだ。我々はそれを信じればいいだけなのだ。

そして「メンヘラ.jp」運営経験のある小山さんも、スピリチュアルが必要なことを述べているのだ。

小山さんの言う「悪人」とは、アルコホーリクス・アノニマスに記されている「役者」のことのように思うのだ。自分の力で突っ走っても上手くいかないのだから、それを上手くいくようにするには人間の英智を超えた力を頼る以外にはないのだ。よく「他人は変えられない」と言うけどこういうことなのだ。

役者を降りるには勇気が必要なのだ。今まで敬遠してきた宗教やスピリチュアルの類いを受け入れる勇気を持つべきなのだ。


「役者」を降りた得たイさんの結果

非モテオフ会第1期OBである得たイさんは、主催といざこざを起こしてTwitterアカウントを消すに至ったのだ。これが自助グループに繋がる大きなきっかけだったのだが、今にして思えば、これは今回の人生無理バー主催と出禁者という二者と同じ構図だったのだ。非モテオフ会主催のアライさんと得たイさんも、やはり「役者」だったのだ。

得たイさんは自助グループの分かち合いの中で、そのいざこざに関わる感情の棚卸しをしてきたのだ。主催に対する、セルリアンに対する、そして女性全般に対する正直すぎる分かち合いにもメンバーは共感してくれたのだ。当然ながらそこには女性メンバーもいたのだ。みんなが共感したのだ。

そういう感情の棚卸しを重ねて、得たイさんは人生で初めて女性から人間扱いされたのだ。女性が恋愛を完全に抜きにして人間として接してくれる(当然、自分も恋愛感情ゼロで相手と接する)ことが本当の意味での「モテ」なのだ。恋愛関係に限定した考えの似非モテと本当の「モテ」はまったくの別物であることを実感したのだ。

そして先日、この自助グループの企画で焼肉会が行われたのだ。今までのどんなオフ会とも比較にならないほど楽しかったのだ。冒頭に示した記事には「モテを諦めることは自分自身という人間になろうとすること」という趣旨のことを書いたのだが、まさに自分自身という人間が心から楽しめた会だったのだ。


非モテの行き着く先

得たイさんが抜けたあとのアライさん界隈を見ていると、やはり「役者」で居続けているアライさんが目立っているのだ。得たイさんのいざこざで袂を分かったとある女性アルファアライさんは、離婚のゴタゴタがあったらしく鍵をかけ垢消しに至ったのだ。また、非モテで有名なとあるアライさんも鍵かけに至ってるのだ。そして、非モテオフ会主催は人生無理バーの「役者」ぶりを見てもなお、「役者」で居続けようとしているのが気になるのだ。

この役者たちはいったいどこへ向かうのだろうか、そう考えた時に得たイさんは、アライさん界隈という荒廃の地に、役者を降りて花を咲かせるアライさんが出てくることが楽しみになったのだ。

分岐点は今なのだ。「自分なりに理解した神」を受け入れる勇気を持った得たイさんは、同じように回復に向かうアライさんが今後出てくることを楽しみにしながら、今回の話を終わるのだ。

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