【恋愛依存症】ナルシシズムとガチ恋という病が起こす悲惨な末路
先日、東京・吉原の高級ソープランド「夕月」で、ソープ嬢が客に殺害される事件が起きてしまったのだ。容疑者は無理心中しようとした可能性が濃厚なのだが、衝撃が収まらないうちに新たな情報が出てきたのだ。それはなんと、「夕月」がガチ恋営業していた(そういうマニュアルがある)ということなのだ。
驚きの内容なのだ。得たイさんは自助グループに繋がる前、カウンセリングとして風俗を利用していたのだが、そこまで露骨なことはされたことがないのだ。この事件を見て、そういう営業をしていたらそれはそうなるな…と思ったのだ。
得たイさんは以前にガチ恋に関する記事を書いたのだが、この当時はまだ自助グループに繋がっていなかったのだ。性依存症と恋愛依存症の自助グループに繋がって3年、グループの運営にも中心的な立場で関わっていく中で取り組んできた得たイさん自身の問題の回復を踏まえ、【恋愛依存症の当事者】としての立場から改めてガチ恋がもたらす問題点について書いていくのだ。
以前のこの記事は旧バージョンとして残しておくのだ。得たイさんの意識の変化を見て頂けると幸いなのだ。
ガチ恋は【恋愛依存症】という病気
当事者としてはっきり言うのだ。ガチ恋は病気なのだ。
恋の病とかいうふざけたものじゃない、ガチの精神疾患の症状のひとつなのだ。
よく恋愛メディアが間違った情報を載せていて、それに基づいて間違った対処法が書かれているのだ。恋愛メディア側はガチ恋を病気と認識していないので対処法も適当なので、それらの記事を一切信用してはいけないのだ。病気であるからには、カウンセリングや専門的な治療、またはスピリチュアルプログラムによる根本的な解決が必要なのだ。
ガチ恋の症状としていくつかを、LAA(恋愛依存症の12ステップ自助グループ)の「40の質問」から抜粋するのだ。
これらの質問にあるように、ガチ恋は自分本位で行われるのだ。そして依存症という病気であるからには自分でコントロールすることはできない、すなわち意識して改善や是正することはできないのだ。そうして恋愛対象となった相手を傷つけ、そして自分も相手に傷つけられる結果となってしまうのだ。
蛇足なのだが、得たイさんはこの40の質問のうち37個が当てはまった超危険人物なのだ(笑)。よって恋愛依存症の治療は今も得たイさんにとって欠かせないものになっているのだ。
ガチ恋が起きてしまう原因
人はなぜガチ恋するのか。これについて著書「愛着障害」で有名な岡田尊司はかせはこう書いているのだ。
愛着障害という本にこのことが言及されているので「親ガチャ」の一言で片付いてしまうのだが、しかし親ガチャに恵まれなかった人すべてがガチ恋するわけじゃないのだ。ここには回避型と不安型の愛着障害の人がガチ恋に陥る傾向にあることが書かれていて、そうなる原因(生育歴)は人それぞれなので自分がガチ恋してしまうかどうかはその時になってみないとわからないのだ。
ただここに、「回避」という重要な単語があるのだ。人間関係の支障に「回避依存」という症状があるのだが、これは恋愛依存症のひとつであり、ガチ恋と大きく関係するものなのだ。
恋愛依存症の自助グループでは、回避依存はナルシストであるとされているのだ。
また、恋愛依存症のテキストにはこうあるのだ。
ナルシシズムとは一般的には自己陶酔、自己愛が強いなどの意味で使われるのだが、ニュアンス的には「自尊心が高すぎる」などだいぶ間違った意味で使われているようなのだ。ナルシシズムで言う自己愛が強いとは絆の形成によって自分の領域を侵されることを極度に恐れることで、つまり「自分(を形成してきた古い生き方)」というアイデンティティを守るためになりふり構わない身勝手さを言うのだ。
自分の中に他人が入ってくることを嫌うから回避依存とナルシシズムが結びつくのだ。
相手が離れていく不安と、相手と親密になりたくない回避のコンボは著しく距離感をバグらせるのだ。
異性との距離感の問題で事案化するのは回避依存なのだ。相手と親密にならないと不安がる一方で、相手に裏切られたと思い込んだ途端に相手を排除しようとする回避で騒ぎ立てる距離感の矛盾を起こして相手の命まで奪ってしまうこともあるのだ。その一例が冒頭の「夕月」の事件なのだ。
ナルシストも性被害者の一人である
先述のとおり、ナルシシズムは多くの場合親ガチャ即ち親からの虐待被害によって身についてしまったものなのだ。しかしこれがなぜ性被害となるのか。それは恋愛と性が両者ともに情緒的な人間関係を結ぶものであるゆえにガチ恋が性暴力と隣合わせであり、性暴力を生存戦略(処世術)にしているということはその背景に性被害があることに他ならないからなのだ。
これについて、性依存症のテキストにはこうあるのだ。
ナルシスト(回避依存)の基本戦略は「裏切られるくらいなら最初から親密にならない」なのだ。しかし同時に見捨てられ不安があるのだ。その原体験には、信じていた(依存関係)のに裏切られた(回避行動)などの矛盾した距離感の問題があり、その矛盾は境界線がなかったゆえと言えるのだ。
他人との境界線を物理的に超えれば性暴力になるのだが、情緒的に超えればそれも性的な被害になるのだ。上記の「慰めを我が子に求める親」の例としてわかりやすいのが「息子は小さな彼氏」などなのだが、家族でなくても情緒的に相手を攻撃する言葉(「キモい/キショい」など)を異性から浴びせられたらそれも情緒的には性暴力であり、境界線が無視された性被害なのだ。
これが一般には性暴力であるという認識がなく、それゆえに男性の性被害は今も放置されているのだ。そして幼年時代に心のケアがされなかった彼らは愛着が形成できず、ガチ恋という性暴力に繋がる危険な恋愛しかできなくなってしまうのだ。
ガチ恋をやめる方法があるとすれば
これを知るにはまず、健全な恋愛がどうしたらできるのかを知らなければならないのだ。
岡田尊司はかせは著書でこう言ってるのだ。
ここでいう実験とは、子育ての効率化のために複数の親が分担して子育てをしたらその子は自立して育つのでは?というものなのだが、この実験で育った子供は対人関係が不安定になりやすいとのことだったのだ。そして2番目の引用に繋がるのだが、特定の人物に無条件で愛されることが必要ということは、つまり必要なのはガチ恋ということになるのだ。
ここまでガチ恋は悪だ!という論調で書いてきたのだが、実はガチ恋自体が悪いのではないのだ。引用にもあるように、幼少期に親に対して正しくガチ恋してそれが成就した人が健全な恋愛ができて、愛着か不安定になってしまった人は他人に親を求めてしまうのだ。それが即ち悪いガチ恋なのだ。
愛着が形成されるのは、人間扱いされることによるのだ。通常は生まれてから人格が形成される思春期まで親に人間扱いされることによって、親へのガチ恋が成就するのだ。しかし、子供が親にいくらガチ恋していても、虐待などによってそれが成就しなかった場合はその傷つきが人格の一部になってしまうのだ。そこで成長が止まってしまうので、他人への恋愛感情が親の代わりを求めることになってしまうのだ。
つまり悪いガチ恋とは、大人になった人が親ではない他人に人間扱いされることをトリガーとして、その相手に親の代わりを求めてしまうことを言うのだ。正しいガチ恋は幼少期に限ったボーナスステージであり、その時期を過ぎたらガチ恋は不健全なものになるのだ。
他人に親の代わりはできないのだ。しかし、悪いガチ恋をやめる方法はあるのだ。それは信仰を持つ(絶対的存在に正しくガチ恋する)ことなのだ。
子供にとっては親が絶対的存在なのだ。その絶対的存在へのガチ恋が成就することによって健全な人格ができるとすれば、大人になった今の自分にとっての絶対的存在(神様やハイヤーパワー)へのガチ恋を成就させることによって、健全に回復するということになるのだ。12ステッププログラムは、依存対象へのガチ恋をやめて神様にガチ恋することによって人生を生きやすくするプログラムなのだ(だいぶ乱暴な説明)。
そして、その過程の中で親へのガチ恋にもケリをつけなければならないのだ。つまり、ガチ恋が成就できなかったことを話して親とのガチ恋を終わりにする(親離れ・子離れ)のだ。そして親をガチ恋相手ではない一人の人間として尊重できるようになることが、本来のガチ恋の道なのだ。
悪いガチ恋をやめる道は厳しく険しいのだ。しかしそれをやめることができれば、自分が謙虚でいられて幸せな生活を送れるという大きな報酬を神様から頂けるのだ。
ガチ恋は正しく行いましょうなのだ。