おせっかい
以前は見知らぬ他人に話しかけることは「はしたない」ことだと思った。
例えばそれが社会秩序を乱す行いであろうが、話しかけるとお節介と思われ注意すると余計なお世話になったり、相手が逆上するのが怖くて
行動を起こした後で「余計なことをした」と思うのが何より辛い。
でも、日常で他人にどう思われようが、言った方が後悔がないこともある。
小さな子どもの手も引かず、車道側を歩かせたうえ、スマホから目を離さない母親に「危ないですよ」と声をかけたらかなりの高確率で不愉快そうな表情をされるのは目に見えている。
だけどこちらが危険を察知していたうえで子どもが目の前で車にはねられるほうが余程辛い。
ある朝、駐車場に車を停めて歩き出そうとしたら、駐車場向かいの喫茶店から淹れたての珈琲とトースト・・所謂モーニングのセットをトレイに載せた女性が隣の薬局に入っていくのが見えた。
ひとりで薬局を営むおばあちゃんは90歳を超えているという。
あぁ、これからゆっくり朝ごはんなんだな、と思ったその瞬間、
薬局の横に業者名が書かれた車が停まる。
中から名札をぶら下げた薬の業者らしき男女が降りてきて、薬局に入ろうとしていた。
「これから朝ごはんみたいですよ。少し置いて来られたらいかがでしょう。」
言葉は喉元を焼きながら吞み込まれた。
口の中に苦いものを残しながら、無言でふたりの後ろを通り過ぎた。
寒い朝、おばあちゃんは冷めた珈琲と固くなったパンを口にするかもしれない。
胸が痛んだ。
先日銀行のキャッシュコーナーにたどり着いたときは6人並んでいた。
操作する人以外は外に並び、とても寒い日だった。
走って建物の反対側のキャッシュコーナーに行くと、誰もいなかった。
操作を終えて戻ると、まだ4人居て、新たに2人がその列の後ろにつこうとしていた。
最初の6人の最後尾にいた男性に「反対側は空いていましたよ。」と声をかけると彼は会釈をして建物の反対側に向かった。
いいことしたな、と少し得意になりながら車を出していると、さっき私が操作したキャッシュコーナーのところにも数人並んでいた。
少し鼓動が早くなる。
「私が声をかけたことで、もっと待つ羽目になっていはしないか。」
声をかけたことを悔やむ自分が居た。
自分が関与することでほかの人が助かるかもしれない。
逆に多大な迷惑をかけるかもしれない。
結果によっては後悔があるけれど、その痛みは私だけが引き受けられるものならば、声をかけたい。
・・・こういうの、やっぱり「お節介」っていうんだろうな。