やっぱり自分のベッドがいい。 猫達とスペースを奪い合いながら。 長い間お付き合いしてきた臓器とお別れをしてきた。いっぱい働いてくれてありがとう😊 日常から離れた異空間で あたりまえがあたりまえではないことへの感謝が溢れる。 失くす前には気づけないよね、どんなに大切かも、どんなにこの瞬間が奇跡に近いかも。 上手には生きられないけど 意識しながら、大切にしたい。 二度とは同じ瞬間なんてない。
母が見えなくなって1年が経った。 亡くなった、も居なくなった、も相応しくない気がしている。 姿が、見えなくなった。 でも全くあなたが居ない気がしない。 写真の中のあなたはいつも通りの優しい、優しい笑顔。 それでも、二度とはその姿を見ることができない現実を 日々突きつけられる。 昔、誰かが言ってた 生きていればいつかは逢える なんとなくその言葉の意味が分かる。 もう、逢えないんだ。 もう、その声を聴けないんだ。 寂しい。 日にち薬という言葉があるように 時間がたてばど
人は見えない何かで引かれあい、惹かれあう。 さっきまで話に出ていた人が数分後に現れたり 思いもよらない人から連絡があったりする。 これは偶然ではなくて、意識下で繋がっていることを再認識させられる。 ひと言で表現するなら「縁」(えにし) ちょっと近づけるなら「テレパシー」 少し離れるなら「偶然」 だけど実際は「必然」 きっと大きな仕組みなのかに組み込まれてるわたしたち。 知らないまま生きていくんだろうけど、 未来だろうがパラレルワールドだろうが 死を飾るためのエッセンスに過
ずっと灰色だった。 くすんだ色彩しか私の中にはなくて、みんなが人生の中で着こなしているヴィヴィッドカラーは、トカゲの背中にしかなかった。 逢えたから、世界が色を変えたのかな。 それとも、最初からこんな色の世界を見る目を持っていなかったのかな。 私を求めているひとがいる。 それだけでここにいる意味があるような気がしてる。 ありがとう。
以前は見知らぬ他人に話しかけることは「はしたない」ことだと思った。 例えばそれが社会秩序を乱す行いであろうが、話しかけるとお節介と思われ注意すると余計なお世話になったり、相手が逆上するのが怖くて 行動を起こした後で「余計なことをした」と思うのが何より辛い。 でも、日常で他人にどう思われようが、言った方が後悔がないこともある。 小さな子どもの手も引かず、車道側を歩かせたうえ、スマホから目を離さない母親に「危ないですよ」と声をかけたらかなりの高確率で不愉快そうな表情をされるの
あの頃とは全く違う景色の中に、変わらない建物や変わらないひとがいる ことを知っただけで、温かい気持ちになる。 毎日歩いた道を、今でも頭の中で描きながら歩けるのに 物理的に遠い遠い町になってしまった。 もとまちユニオンで買ったChilliBeansやMacaroni and Cheese、SpaghettiOs の重い缶詰を抱えて、ポンパドールで14時に焼きあがったバゲットをちぎりながら 家路を急いだあの頃。 HAKURAIYA CrystalMints Copa Roo
大丈夫ですか?と声をかけられた人の答えは「大丈夫です」一択だ。 地下鉄の階段で前を歩いていた人が突然転ぶ。 「大丈夫ですか」反射的に言葉が出る。 訊いてしまった瞬間から後悔が背中を走る。 「あ、大丈夫です、すみません。」彼女はかなり痛そうな足を引き摺り ながら後ろの人たちに迷惑をかけないように端に寄っていく。 「昨日から頭が痛いんよ」 「大丈夫?病院は?」 「そのうち治るわ、大丈夫、大丈夫」 のやりとり。 昔、交通事故に遭った時、駆け寄ってきた人だか救急隊員だかに 「大
なにかがあったわけじゃない。 不意に、本当に不意に涙がこぼれることがある。 10年前、突然震えてものが持てなくなることがあった。 吐きそうなもやもやが背中から襲い掛かり、この現象に名前がついていないことが怖くてたまらなかった。 病院を転々としてもわからない。 神経の病気かも・・・ 内科・外科・整形外科・耳鼻科・・・ 打つ手もなく、なんとなく逢うと癒されるおじいちゃん先生のいる医院に 行ってみた。そこで 「自律神経失調かも知れんから、心療内科行ってみたら?」と 言ってくれた
これも2か月も前に下書き保存していた記事。 もしも人生が一冊の本だったら ふと気づいたときにアンダーラインを引いたり栞を挟む 私にとって自分の身体を考える、という文化自体が存在 しなかった。 数年ぶりの受診。その病院では初診。緊張をしていないといえば噓になる。 名前を呼ばれて小さな診察室に入ると母の担当医が笑顔で座っていた。 安心感に包まれる。 この先生は、医者嫌いの私が数十年ぶりに絶対的な信頼を置けた医師だ。 医師は技術だけじゃなく、人格が大切だと思う。 人間だから
4月に書いていたnote これも一瞬公開して下書きに戻したもの。 この時の自分がとても幸せだったことに気づく。 母は確かにそこにいてくれた。 母は、ある日突然意識を失い、入院することとなった。 テレビドラマでしか見たことのない状況で、丁寧に説明する先生の言葉は まるで異国の言葉のように、かみ砕いてもかみ砕いても入ってこない。 その日、世界は灰色になった。 全てが色を失った。 「あたりまえ」の時間がとてつもなく愛おしくなる半面 あたりまえすぎた今までが腹立たしくなる。 決し
初回の投稿を下書き保存している間に、 母だけ向こう側へ行ってしまった こんなにあなたが大好きなのに 姿を見ることができないのがとても寂しい 居ない、わけじゃない 今、すぐに逢えないだけ 逢えないが続いていくだけ だけどちっとも納得できていなくて みんなは優しい 「よくがんばりましたね。」と声をかけてくれる 違う、一番頑張ったのはほかでもない母なのだ たらればが嫌いな私が、もっともっとこうすればよかった、が尽きない 美味しそうなものを見ると食べてもらいたい 綺麗な景色
神様との契約は、私が小学生の時だった。 夜眠る前にいつも、誰に宛てて、でもなくお願いをしていた。 多分、子ども心にそれは神様だったり、仏様だったり、ご先祖様だったり、お日様やお星さま、大宇宙や大自然、でも、相応しい言葉が見つからず、 ただ、ただ祈っていた。 「ずーっとずーっとお父さんとお母さんと一緒に居られますように」 そして無理なお願いだとはわかっていても、親不孝だとわかっていても 「死ぬときはみんなみんな一緒に死ねますように」 これを何年も眠る前に祈り、少し大人にな