一時帰国前の幸福感と「キリストの肢体であること」について
海外生活6年、その内一時帰国は昨年一度のみ。
でも今年から年2回は帰れるようになりそうです。
すぐに実現するかはわからないけど、東京に一部屋借りたいと思ってるくらい。
今回突然の一時帰国は、教会関係の方のご紹介で、とても良い条件でお部屋を貸して頂けることになり実現。
感謝してもしきれない!自分ひとりで出来ることなんかたかが知れてるって、いつも人様に助けられて生きてるって、改めて思った。
そんな矢先に肩を壊す。原因は寝方なのか?わからないけど、急に右肩甲骨周りが痛みだし、中々身体が動かしにくい状態に。
私が日本へ行くのを妨害しようとしてるヤツよ出てけ〜‼︎
等と叫びつつ:)
自分が「キリストの肢体であること」について思いを巡らす。
自分の身体の一部が痛んだり弱まったりすると、このことが本当によくわかる。
横になったところから立ち上がる度「イテテ〜」と呟くような今、左半身の支えでなんとかやってる。
でもこれが長引いちゃったら左半身への負担も大きくなって、きっと全身が辛くなっちゃうね。
あとは「自分ってダメだな〜」「自分が頑張ったところで...」等と自己卑下に走るのは的外れだということもよくわかる。
自分は"キリストの肢体"としての右片目どころか眉毛の一部かもしれないし、左手小指の爪かもしれない。いずれにしても人の身体に全く必要のない部分はない。
(脾臓や盲腸がなくても生きていけるとは言うけど、厳密には働きがあって不要な臓器ではないとのこと。)
そうは言っても、自分が小さな取るに足らない存在に感じる時だってある。人間なら誰だってきっと。
でもそれは問題じゃない。というか真理じゃない。大きな全体を想像する。
右肩の様子も見つつ、いざ愛しの日本へ☆
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