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【映画感想文】ビーキーパー
2025年明けましておめでとうございます。という時期でもありませんが、まぁ、2025年一発目の感想文ということで、何か景気の良さそうな映画…と思い、ジェイソン・ステイサム主演、デヴィッド・エアー監督のアクション映画『ビーキーパー』の感想です。
先日、PODCASTの方の『映画雑談』でトークイベントをやりまして。毎年年明けにその前年のベスト10を発表するっていうイベントなんですが、ベスト選出する中で2024年の自分がグッと来た映画の傾向みたいなのが見えてくるんですね。で、2024年は”クソみたいな世界で頑張って生きている人たち”の話っていうのに自分は惹かれていたというか、そういうモードの一年だったんだなということが分かったんです(世の中のムードがそうだったと言いますか。)。で、この『ビーキーパー』を観て、そのモードが明らかに2025年は変わったなと思ったんですよ。世界がクソだというのは残念ながら相変わらず当然一緒なんですけど、その”世界で頑張って生きる”から”その(クソみたいな)世界と戦う”っていうのにフェーズが変わったと。
普通、ひとりの人間が”世界と戦う”と言ったら、比喩表現じゃないですか。例えば、ビジネスの世界で頂点を獲れるようなスキルを身に着けるとか、世界に向けてものが言えるような財力を持つとか。でも、この映画はアクション映画なので、比喩ではなく戦うんです。つまり、まぁ、”暴力”です。逆比喩表現というか、”世界と戦う”っていうのをシンプルに暴力でやってみたらこうなりましたって感じで。だから、まぁ、マジメに観てたらこんなの絶対許されることじゃないし、ありえないでしょってことなんですけど、アクション映画っていうね、ジャンル映画の中でね、いま一番民衆がストレスに感じてることってなんなんだと、みんなの溜飲を下げることってなんなんだって考えた時にこれなんだって。しかも、こんなこと(暴力によって世界と戦うなんてこと)出来るのジャンル映画の中だけでしょっていう(要するにそれだけ世界がクソ化してるってわけですよ。そして、暴力そのものは善でも悪でもなく、それを使う側の問題っていうのも暴力映画の教示的なものを感じないでもないわけです。)。それだから出来ることを最大限に景気良くやってくれてるわけです。
ジェイソン・ステイサム演じるアダム・クレイは田舎で蜂を育てる養蜂家(ビーキーパー)として暮らしているんですが、ある日納屋を貸してくれていた老婦人がフィッシング詐欺に引っかかって全財産を騙し取られてしまうんです。自分の財産はおろか運営していた慈善団体の活動資金まで。失意の老婦人は自ら命を絶ってしまうんですが、それを目の当たりにしたジェイソン・ステイサム=アダム・クレイは「唯一おれに優しくしてくれた人だったのにー!」とブチ切れ。フィッシング詐欺をしている会社を探し出して、そのビルに乗り込み、有無を言わせずビル爆破します(いや、受付のお姉さんに「今からビル爆破するから関係ない会社のやつらには逃げるように伝えろ」って言いますね。一応。)。だから、初手から主人公でありながら頭オカシイだろコイツって感じに見えるんですけど、ただ、まぁ、話の始まりは私怨なんです。復讐劇。これ、この始まりが復讐であるからこそ主人公のアダム・クレイへの共感がすんでのところで保たれてるといいますか。これがヒーローモノのように「正義の為」とか言い出したら完全にサイコ野郎(もしくは私人逮捕系ユーチューバー)ですからね。いや、たとえ復讐であろうといきなりビルごと爆破したらサイコパスであることに変わりはないんですけど。
だから、最初は(ほんとに相手の詐欺集団がクソ野郎なので。)アダム・クレイことビーキーパーのこと応援しながら観てるんですけど、途中から、あれ、これはこのまま応援してていいんだろうか…っていう気持ちになってくるんですね(個人的には、詐欺会社の支店長みたいなやつをシートベルトでぐるぐる巻きにして無人の車もろとも橋の上から海に落としたところくらいからですね。アダム・クレイが善でも悪でもない単なる殺人マシーンに見え始めたの。)。だから、リベンジ系アクション映画観てたはずがだんだんホラー観てる気分になってくるんですね(元からヤバイやつが怖いことするより、最初はいい人だと思ってたやつが予想を超えてヤバくなっていく方が恐怖は倍増なのでホラーとしては新境地だなと思いました。)。ただですね、それに伴って敵がどんどん巨悪になっていくんですよ。そりゃ、どう見ても個人が太刀打ち出来る相手じゃないって。
つまり、ビーキーパーも大概ヤバいけど、今、世界の方がヤバくない?っていう。どっちがヤバいか合戦みたいになっていくんですけど、最初に言ったように、今、この世界でみんなが何に一番ストレスを感じているかって言ったらどんどんむちゃくちゃになっていくこの世界なわけじゃないですか。それを腕っぷしとサイコな思考で止めてくれる(うーん、ここも止めてるのかただ破壊してるのか微妙なところではありますが。ただ、気持ちはいいんですよ。溜飲が下がるうえに破壊衝動も満たしてくれるので。)っていうのがこのビーキーパーなんです(ちなみにビーキーパーというのは国家権力にも恐れられている殺人組織らしいんですけど、映画観てても誰が何の為にそんな集団を作ったのかは謎です。そして、その組織を辞めた後に、なぜアダム・クレイはほんとに養蜂家になったのかも…)。
で、もうひとつ、アダム・クレイが人間離れした思考を持ってても仕方ないかなと思えるところは、アダム・クレイは養蜂家なので全てのことを蜂に例えて考えるんです。なので、蜜蜂の巣を襲うスズメバチがいたら巣ごと焼き払ってしまうとか、蜂は群れで行動するのでダメな群れは群れごと殲滅するとか。それを人間に適応してるので結果頭オカシイだろってことになるんですけど、ただ、まぁ、財力と権力だけで好き勝手やってるクソ野郎たちに「コラッ!」って言って2度と悪事が出来ないようにしてくれるわけなんでいいっちゃいいんですよ。ただ、法律に違反してるってだけで…。だから、この映画を観て僕らが何をしたら良いのかって言ったら、全ての小学生が「ドラえもんがいたらなぁ。」と思いながら粛々と宿題をするように、「こんな世界にビーキーパーがいたらなぁ。」と思いながら粛々と権力を見張るってことですよね。
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