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【映画感想】子供はわかってあげない

『横道世之介』の沖田修一監督が上白石姉妹の妹さんの方、上白石萌歌さんを主演にして作った(ここのところ観てたものに比べると)まっとうな青春映画。漫画原作でタイトルからも『大人は判ってくれない』のアンサーみたいなことなんだと思うけど、どちらも観てないので映画を観た感覚だけで語ります。

ここのところ、というか、去年から質の高い青春映画が多くて、今年観た中でも、前回、『映画雑談 その32(PODCAST)』の方で取り上げた『サマーフィルムにのって』とか、(こちらも『映画雑談 その27』で取り上げた)台湾映画の『一秒先の彼女』とか、青春映画に別の要素を盛り込んで(芯の部分はブレてないんだけど、)何か今までとは違う見せ方をするっていうのが多くて(他にも『パーム・スプリング』とか。)。で、そういうのに比べたら、この映画はかなりまっとうな青春映画なんですけど、全部観終わった時の印象が、なんか、今まで観て来た青春映画とは違うなと感じて、なんだろうなと思ってたんですけど。なんていうか、誤解を恐れずに言えば、なんかちょっと物足りなかったんですよ。138分もあって(このまっとうな青春映画を138分かけて語るっていうところでちょっと変わってるんですけど。)、凄く丁寧にひと夏の少女の冒険を描いてるし、恋も挫折も成長も描かれてて、青春映画としては何も遜色ないというか、どちらかと言えば盛り過ぎくらいなんですけど(もちろん、上白石萌歌さんと細田佳央太さんの主演のふたりも、豊川悦司さんや斉藤由貴さんの脇の大人もめちゃくちゃ良かったんですが)、なにか、大事な部分が描かれてない様な、省かれてる様な、そんな感じがしたんです。

で、なんだろうって考えながら観てて、観終わってタイトルを見直した時に思ったんですけど、この映画たぶん主人公の美波が見たくない、人生における嫌な部分というか闇の部分というのをあえて描いてないんじゃないかと思ったんです。上白石萌歌さん演じる美波という子のうちはお母さんが再婚していて、後から来たお父さんも凄く良い人で、特にその状態に不満があるというわけではないんですけど、やはり、ほんとの父親に会ってみたいという気持ちはあるんです(というか、あったんです。それを細田佳央太さん演じるモジくんと出会うことで掘り起こされるんですけど。)。で、実の父親を探しに行くんですけど、父親はなんと新興宗教の教祖だったって話なんですよ。それをユーモアというか美波のあっけらかんとしためげない(メンタルの強い)キャラでスルーして行くんですね。周りの大人もそんな美波のことをそれほど心配してない様に見えるんです。

で、それが可愛くて、美波だけじゃなくて、美波に協力するモジくんも、そのお兄さんの明も、美波の行動に振り回される友達のミヤジも、じつのお父さんも、今のお父さんも、お母さんも弟も、みんなけなげで可愛いんです。ただ、状況的にそんなワケはないんですよ。さっきも書きましたが、美波の親は離婚していて、母親とあとから来た父親との間に弟がいて、みんな仲良いとはいえ今まで他人だった人がいきなり家族になるわけですから多少の努力というか配慮はあると思うんです。で、その配慮的なものは今のお父さんからは感じられるわけです(こういうの、今のお父さん役の古舘寛治さんむちゃくちゃ上手いですよね。配慮してないように思わせる様に配慮してるのとか。)そういう努力の上にこの家族は成り立ってるんだっていうのを監督は極力描かないようにしてるんだと思うんですね。描かないようにして美波が周りのおせっかいに巻き込まれて行動させられてるように描くんですよ。そしたら、元父親は信仰宗教の教祖だったってわけです。

だから、そういうの全部美波がフラットに捉えてるのかなと思っていたんですよ。親が離婚とか、元父親が教祖とか(美波だけじゃなくて、例えば、モジくんのお兄さんの明はゲイだということを認められず由緒ある書道家の家から追い出されてますしね。あ、あと、偶然知り合ったモジくん家と美波家がある事柄で繋がっていたというのが大人の事情というか裏っぽいのもいいですよね。ここは面白いので映画でご確認ください。)。それでも前向きに生きているぞっていう、80年代以前のまだまだ未来が未知だった時代だったらこの描き方あったと思うし、実際に主人公のメンタルの強さだけで乗り切っちゃう話って多かったですよね。ただ、今それをやるのか?っていうね。その違和感。

しかも、監督が沖田修一監督で、多幸感溢れるモラトリアム時代をこれでもかって描いたあとに絶句するような現実を入れて、それでも前に進むというモチベーションを失わせない『横道世之介』っていうめちゃくちゃスリリングな物語を紡いだ監督ですよね。その監督がなぜ今こんなストーリーなんだろうって思いながら観てたら、ひと夏の冒険から帰宅した美波と母親が語り合うシーンになったんです(斉藤由貴さんは好きな俳優さんなんですけど、最近の中では断然このシーン良かったですよね。)。このシーン、これまでのストーリーを映画が語ったそのままに受け取ってたら、なんか急にシリアスになったなという居心地の悪さを感じるシーンだと思うんですけど、なぜ、そういう居心地の悪さをここへ来て入れるのかってことだと思うんです。これ、要するに、美波が必死にスルーしようとしている大人に感じる違和感とか不信感というのを母親は(いや、というか、実のお父さんも今のお父さんも大人たちは)分かっているよってシーンなんですよね。で、美波はそのことに気づくわけなんですよ。このシーンがとても感動的なのは、この能天気な物語はじつは裏に現実っていうどうしようもないものを踏まえていたって分かるからなんだと思うんです。で、タイトルなんですけど。

美波はこういう大人の事情(つまり、現実というどうしようもないものです。)を『わかっていない』のでも『わかってくれない』のでも『わかってないフリ』をしていたわけでもなく、全てわかったうえで『わかってあげない』をしてたってことなんですよね。こういう否定的な言葉を使うことで物語全体を前向きにしているのも凄いし、子供がこのくらい大人に気を使わないで生きてる世界というのはとても良いなと思うわけです。それをタイトルと母親との会話だけで表現したのもとてもスマートで、さすが沖田修一監督と思ったわけです(ということを監督はこのストーリーに託したのだろうなと思ったのですが、シリアスな場面で笑ってしまうという美波の性格を考えると、もしかしたら、僕のこの考え自体が全くの考えすぎなのかもしれません。子供ってそういうところがほんとに凄いですよね。)。


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【映画感想】とまどいと偏見 / カシマエスヒロ
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