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えー、とりあえずイーストウッドのヨボヨボ演技が凄いです。90歳の役を88歳の俳優が演るんだから別に難しいことないんじゃないかと。そのままやればいいんじゃと思っていたんですが、出て来て10秒くらいで「あ、この微妙な前傾姿勢とか、手が常に震えてるのとか、一歩づつヨロヨロ歩く感じとか、これあきらかに普段のイーストウッドではない。おじいさんの演技してる。」って分かるんですね。(つまり、その醸し出すオーラが普通なんです。いかにも悪態つきそうな、目立ちたがりでつまらない冗談言いそうな、昔気質でありながら花が好きなんていう意外性までをも含めて「ああ、こういうおじいさん知っている。」ってなるヨボヨボ感なんですよ。)で、その上でおじいさん演技の面白さというか、間の取り方とかタイム感が心地良いんですね。だから、僕はこの冒頭10秒でかなり掴まれたんです。これがイーストウッド監督主演の凄さかと。90歳の老人がコカインの運び屋をやるという実際にあった事件からインスパイアされたクリント・イーストウッド監督主演(は2008年の「グラン・トリノ」以来らしいです。)の映画「運び屋」の感想です。
あの、じつは僕、これまでのイーストウッド作品てそれほど響いてないというか、面白いとは思いながらもなんとなく物足りなさを感じていたんですね。で、それが何だったのか今回ちょっと分かったというか。恐らくこのイーストウッド本人が演じた時のタイム感というか引っ掛かりの部分が、本人が演じてない時にはあまり感じられなかったんじゃないかと思うんです。(確かに「グラン・トリノ」にも妙な引っ掛かりを感じていたんですね。)うーんと、なんて言うか、イーストウッドの映画って物語をめちゃくちゃフラットに描くじゃないですか。雑な言い方すれば物語自体にはさほど主張がないというか。映画のモデルとなった事件そのものには主張というか教訓みたいなものがもちろんあって、そういうドラマを選んでるんですけど、それを脚本化する時に"これこれこういう話なので、この物語はこういうことを言っているんですよ。"っていう部分を出来るだけ強調しない様にしてると思うんですよね。で、それをそのままやっちゃうと何が言いたいのかよく分からない映画になってしまうので、その部分を何かに背負わせないといけないわけなんですけど、それを登場人物の人間性に集約してるんじゃないかと思ったんです。しかも、それは誰でもが共感出来る人物像を描くってことではなく、特殊な人生を送ることになってしまったその人が一体どういう人物だったのかっていうのをもの凄く深く掘り下げるってことだと思うんです。(更に「グラン・トリノ」とか、今回の「運び屋」の場合は、その人物にイーストウッド自身の人生を重ね合わせることでより深くその人物を感じられるってことになっているんですけど、)ただ、それを物語として描く場合にはさらっと軽く描くっていうのがイーストウッドイズムなわけですよ。(その当たり前さが共感部分であると同時に僕が感じていた物語としての物足りなさでもあったと思うんです。ことさらに感動を煽らないので。)
つまり、イーストウッドの映画って 、"こういうことがありました。" ってよりも、" こういう人がいました。" って方を強調していて、こういう人がこのシチュエーションにいた場合こうなりますよねっていう描き方なんですよね。特異なキャラクターが特殊なシチュエーションにいるのにそういう風に見えないというか「なんか分かる。」って感じになるのはそのせいだと思うんです(イラク戦争で1600人を狙撃したスナイパーを主人公にした「アメリカン・スナイパー」でさえそうでしたからね。まぁ、だから物足りなく感じてしまうっていうのもあるんですが。)。この人ならっていうのを先に刷り込まれるので、「ああ、この人ならこうするよね。」ってなるというか。(だから、そういう意味でもイーストウッド本人が登場人物を演じた方が分かりやすいんですよ。監督自身がこの人のここのところが面白いんだよって思っている微妙なところがダイレクトに伝わるので。)で、今回のアールおじいさんなんかも映画の登場人物としては非常に魅力的な人物なんですが、魅力的であるが故にその反面で被害にあってる人もいるというところを同列に描くわけですね。これは「グラン・トリノ」のコワルスキーさんと同じで、要するに前時代的な意固地なおじいさんが「時代が変わった」ことを実感して受け入れていくって話なんですけど、他人を信用しておらず内に篭って行くコワルスキーさんに比べてアールおじいさんは良くも悪くも適当で能天気な人なんですね。(お互いに朝鮮戦争に出兵してて、家族から疎んじられているっていうところまで一緒にしてるのに、)これって何の違いなのかなと思ったんですが、「グラン・トリノ」の評などでよく言われていたコワルスキーさんはイーストウッドがかつて演じてきたキャラクターの現在の姿というのに対して、「運び屋」のアールおじいさんはイーストウッド本人のメタファーってことなのではないかなと思ったんです。家庭を顧みない程の仕事人間で、結婚記念日やひとり娘の卒業式、成人式、結婚式よりも仕事優先。人前に出て自分を表現するのが好き。花を育ててそれを作品としてコンペティションなどに出品しているなんていうプロフィールも、イーストウッド本人と言わずとも、俳優で監督であるイーストウッドの境遇からしたらありえるというか。映画業界なんていう特殊な世界に身を置いていればそうなるだろうなと。非常に魅力的な映画人であるイーストウッドも良き父親であったとは限らないというね。(それを裏付けることとして、アールおじいさんの娘役はイーストウッドの実の娘のアリソン・イーストウッドさんなんですよね。ただ、実の娘と一緒に仕事出来てる時点で家庭人としてもそれなりに上手くやっていたということだと思うんですが。)その、人っていうのは一朝一夕で語れないというか。清濁併せ持っているのが人間で、その中で思いがけない様な奇跡的ことが起こったとしてもそれも含めて日常っていうか。映画になる様な大きな出来事でもあくまで個人レベルで語るってことだと思うんです。(で、その考え方ありきで脚本が書かれているから物語として納得しちゃうんじゃないでしょうか。アールじいさんがそれまでの自分の過ちに気づいて奥さんの元へ戻ろうとした時に、最も戻りづらい状況にいるのとか。わー、やっぱり脚本すげーうまいなぁと思っちゃいました。)
しかも、今回もっと突っ込んでるのは、アールおじいさんが犯罪に加担してるってところですよね。これまで数々のいわゆるアウトローを演じてきたイーストウッドの落とし前ってことなんだと思うんですけど、やっぱり、その裏には「ここまで90年近くもこうやって生きて来てしまって、いきなり、今までの生き方は間違いでしたって言われた時に人はどうすりゃいいのか。」っていうのがですね。ありますよね。(僕も年齢的にはこっち側を考えてしまいますね。)で、それを犯罪っていう、そりゃ、誰が見ても「これはダメだろ。」ってことをテーマにして、それでもアールじいさん自身は人としてとても魅力的っていう。そういうもの凄く繊細な問題を軽ーく見せてくれる感じとか(正にこういう問題を孕んだコカイン絡みの事件が最近日本でもありましたね。)、これをこういう感じで出来るのはイーストウッド監督主演だからなんだろうなと。正直、アールじいさんがカーステから流れてくるオールディーズに併せて(決して上手くない歌を)歌いながらコカイン運んでるのとかもっと観ていたいって気持ちになりましたもんね(この上手くない歌を歌うっていうのも、花を育てるのが好きっていうのと併せてアールおじいさんの好きなことを自由にやるっていう性格を表してて、そこが人としての魅力にもなっているし。こういうキャラクターの見せ方の上手さとかもほんと凄いなと思いました。)。犯罪は犯罪だけど、それによってその人自体の資質というか人間性は変わるもんじゃないし(逆に言えば、犯罪犯してなくても悪いやつは悪いわけです。)、人間いくつになろうと間違いを認めるっていう柔軟性さえ持つことが出来ればっていう。まぁ、それを88歳のイーストウッドが言ってるんだから、それは希望なんだろって話ですよね。
アールおじいさんを描くことによって、コカインの売人側とそれを追ってる警察側、それぞれに所属する人間の内面までも描けちゃってて、ほんとドラマとしてもめちゃくちゃ面白かったです。
http://wwws.warnerbros.co.jp/hakobiyamovie/
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