【映画感想文】こちらあみ子
友達のボギーの息子の天晴(てんせい)くんが出てるので、ずっと観たいなと思いながら、劇場公開時を見逃してしまっていた『こちらあみ子』を配信で観たので、その感想です。
2022年公開の日本映画で、ちょっと他の子とは違ったものの見方をする(おそらく発達障害を持つ)小学5年生のあみ子の日常を淡々と一定の距離感を持って描写した作品なんですが、これが予想以上に良かったんです。まずは、監督のあみ子に対する視線のフラットさ。これに感動してしまいました。あみ子のやってることに口出ししないというか、あみ子の見ている世界をジャッジしないという描き方をしていて、一見ドライな様にも感じるんですけど、シリアスな現実を描きながらもそのあきらめの中にユーモアのようなものを感じるというか、映画の空気感が相米慎二監督作品、とりわけ、小学6年生のレンコが両親の離婚というシビアな現実に直面して葛藤する姿をシリアスでもコメディでもなく、一定の距離感で(小学6年生の女子をこの物語の中で最も強い存在として)描いた『お引越し』のドライさに近いものを感じたんです。
もちろん、『お引越し』のレンコよりもあみ子の方がより重いものを背負ってるんでしょうけど、誤解を恐れずに言えば、それを重いものとしてとらえるかどうかはこちら次第と言いますか。レンコにしてもあみ子にしてもその物語内の誰よりも強くて、(この映画を観ていると)その強さを理解出来ない大人たちから変わった存在として見られているだけなんじゃないかって見えてくるんです。あの、僕にも5歳になる娘がいるんですけど、だんだんものの常識というか、世界のルールみたいなものを知ってくる年齢ではあるんですね。なんですけど、基本的に(というか、出来る限り)僕ら夫婦の娘への接し方は否定しないなんです。例えば、去年、僕の父親が亡くなってその葬儀に娘も参列したんですが、人の死というものを現実的に知る良い機会だと思って、なるべくさせたいようにさせたんです。遺体を見るのも人が死んでる状態に対峙すること自体も初めてなので怖がるかなと思っていたんですけど、怖がるどころか、遺体に興味深々で近寄ってじっと見てたり、触ってみる?と聞いたら、ニコっとしながら「うん」と。触って「おお~」みたいになってるんですが、わくわくと同時にそこにはちゃんと畏怖の気持ちも見て取れるんですね。そして火葬後、骨になった父親が骨壺に収まった姿を見て、当時かくれんぼがマイブームだった娘は、「じいじはどこに隠れているでしょう~」と、静かな火葬場でボソッと言ったんです。ウケを狙おうとは思っていないその言葉に思わず笑ってしまいました。もちろん、父親の死因が老衰だった(しかも、後半はかなりボケてきていた)ので、皆がお見送り気分でほんわかした雰囲気だったというのも大きいと思いますが、死んで遺体になっても孫に怖がられないじいじは嬉しかったんじゃないかなと思うんです。世間一般の考えからすれば娘の振る舞いは非常識なのかもしれませんが、故人を送る場で一番大事なのは、この故人と送る側の関係性なんじゃないかと思ったんですね。お正月くらいしか会わないじいじとの関係性を娘はここで作ったんだなと思ったらこれでいいんじゃないかと感じたんです。ある意味、その場でもっとも故人との距離を近く感じていたのは娘だったのかもしれません。故人とお別れをするという意味では娘なりの最善で、そのアウトプットの仕方が社会の常識の中にはなかったってだけなんだろうと。
この映画を観ていて、あみ子の行動の全てにそれと同じものを感じたんです。あみ子は何が一番大切かをちゃんと考えて行動しているんじゃないかと(それが社会の規範からズレていたとしても)。だから、あみ子がずっとかわいそうで仕方なかった。(もちろん、あみ子の行動が周りを混乱させるものだということは承知したうえで、)周りの大人たちが(こういう時にはこうするもんだという)社会の規範の中だけで生き過ぎていて、誰もあみ子の行動の本心を理解しようとしない。どころか、誰もあみ子がなぜそうしようと思ったのかを聞いてもあげない。聞けば、あみ子なりの行動の理由がちゃんとあるわけで。(もちろん、あみ子はある種の病気だと思うので話を聞いてあげるだけではなくて、ちゃんとした支援が必要だとは思いますが、その前に)大人が、弱すぎるし余裕がなさすぎる(これは自戒も込めてです。)。その余裕のなさすぎる大人(ひいては社会)の犠牲になってるのがあみ子であり、(天晴くん演じる)あみ子のお兄ちゃんなんじゃないかと(贔屓目でなく天晴くん凄く良かったです。むちゃくちゃ自然に妹に翻弄されながらもちゃんと兄貴だった。そして、グレて金髪ドレッドで帰って来た時はかわいすぎて笑ってしまった。)。『CLOSE/クロース』という映画を観た時も感じたんですが、あみ子を拒絶する友達たちも社会の規範の犠牲者なんじゃないかと感じました。たまにその規範を飛び越えて来る強者もいますけどね。あみ子に興味津々のあの子みたいに(あの子と保健室の先生、あのふたりは映画の観客の癒しにはなっていましたが、あみ子自身の癒しにはおそらくなっていないのが切ないですね。)。
とにかく、とことん大人は弱くてあみ子は強い(ここら辺がこの映画の面白さでもあると思うので、弱い大人を責めたいというわけでもないんですが)。大人があそこまで繊細で弱くなってしまうのも分からないでもないですけど、そんな社会であみ子の強さはある種の希望じゃないかなと感じてしまったんです(と同時にあみ子を一番強い存在にさせておいて、それで世界はいいんだろうかとも。この映画に救いや希望があるとすれば、それはあみ子ひとりに背負わされているんですよね。それが本当につらかった。)。
ということで、『こちらあみ子』はNetflix、U-NEXT、アマプラでも観れます。ぜひ
https://www.netflix.com/jp/title/81717647