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自分の誕生日を知らないことは珍しいことではなかった

誕生日がくるとみんなからお祝いのメッセージをもらい、
サプライズパーティーだったり、
ケーキを職場でもらったりして
誕生日を祝ってもらえる。

一年でもワクワク・ウキウキする日だと思う。


自分の誕生日を知りません。


なんて言えば、一気に場がシーンとなって、
同情というかなんというか
よくわからない空気がその場に広がることだろう。


昔、東アフリカのケニアやタンザニアを旅行していた時に、
現地の子どもは、誕生日を知らない子もたくさんいる。

そう聞いてびっくりしたのを覚えている。。。

でもよくよく考えると、
誕生日を今のような形で祝うようになったのって、
いつからなんだろ?


ケーキという欧米からやってきたデザートに、
ろうそくをたて、謎の日本語英語の
お祝いの歌をみんなで合唱するというこの奇怪な行為は
いつから定着したのだろう?


その昔は「数え年」という考えが当たり前だった。


ミレニアルギリギリ世代のボクでも
聞いたことのある言葉だけど、
デジタルネイティブと呼ばれる世代には、
????な言葉かもしれない。


生まれたら1歳で、
新年を迎えると2歳になる。
3歳の子は同じ日に4歳になり、
30歳の人は31歳になる。


親は生まれた日は覚えてなくても、
生まれた季節なんかは覚えていたことだろう。


「あんたが生まれた日は蝉の声がすごくてねぇー」


とか


「あんたが生まれた日はホント寒かってねー」


など季節・天候で覚えていることが多かったはず。


7月18日は特別な日だった。


そんな感覚はなかっただろう。。


数え年から「満年齢」になったのは、
「年齢のとなえ方に関する法律」が、
昭和24年(1949年)にできてからだった。

それでもそれぞれ個人の誕生日を祝うというのが、
習慣化したのはもっとあとのことだろう。

ホント、人・社会の変化のスピードってすごい。。。


そもそも数え年のころは、


「生まれた日をお祝いする」

という考え方よりも、

「今年もよく生き抜きましたね」

と、死ななかったことを祝うことの意の方が強かったはず。


明治時代の乳児死亡率や、
成人になるまでの生存率なんかは、
いまとはくらべものにならないほど。
特に貧しい農村部などでは10人中半分もが
成人になることなく人生を終えていたそうだ。


7歳にまでは神のうち

間引き


今の親世代からすると恐ろしい
言葉の数々も当たりまえのことだった。

ひと昔前までは「死」というものは
当然のごとく自分たちの真横にいて、
一緒に生活をしていた。

七五三なんかのお祝いも、
各ベンチマークまでたどり着いたことへの
お祝いだった。

今ではそんな行事も、
「伝統」としてやっていること、
可愛さオーバーロードした写真を
撮りたいがためにやっていることになってしまった。


エストニアという国で冷房のきいた涼しい室内で、
日本人とエストニア人の混血の子どもが、
たくさんの現地の子どもたちに祝われ、
その様子をSNSで遠く離れた日本とシェアできる時代になった。


江戸時代の人が日本人であるボクたちが、
ケーキを囲んで、

「はっぴぃば~すでーとぅ~ゆう~🎵」

って歌っている様子みたらどんなリアクションとるだろ?

「江戸っ子、日本の誕生日 / リアクション」

というYoutube動画、見てみたい。


でもきっと今から30年もしたらこれまた
ボクたちには想像もできないような状況になってることだろう。。。

想像してみたいようで、想像したくない。。w


SNS、存在してるかな??





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たろう@エストニア暮らし
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