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#130 -「人は見かけがすべて」は半分当たってる。

人は見かけが全てだ。

そんな言葉を聞いたらどんな気持ちになります?

なんと浅はかな・・・

あぁ、なんて悲しいことを言うの・・・

そういう風に思われる方もいるかと思います。

でも、「見かけが全て」にはもう一つの意味があると考えています。

それは、「見かけに全部表れる」ということ。

そしてその見かけに表れる度合いは年齢を重ねるごとに強くなっていきます。

50歳にもなれば・・・

作家、ジョージ・オーウェルの有名な言葉に、

“At 50, everyone has the face he deserves.”

というものがあります。
かみ砕いて訳すと、

人は50歳にもなれば、その人に相応しい顔になっている。

といった感じでしょうか?

初めてこの言葉を聞いた時、すごく共感したのを覚えています。

顔にぜぇーーんぶ、出ちゃうんですよね。その人の性格やその人の人生が。

なんか、意地悪っぽいなーっと思った人はやっぱり意地悪だった。

ちょっとヤバそうだなこの人。。。と思っていたらやっぱりヤバい人だった。

なんかこの人優しそうだから、と思ってお願いしたらやっぱり優しかった。

きっとみなさんも経験があるかと思います。

一回一回の喜怒哀楽が積み重なって、その人の顔を作り上げていきます。
その変化は僅かですが、ある一定の感情ばかりを経験した人の顔は見てすぐにわかるくらい顕著に表にでます。

眉間にできた半永久的なシワ

自信満々とはこのこと。と言えるくらいの自信に満ちた顔。

愛想笑いのしすぎで自然な笑顔が出なくなった顔。

口の両端が少し下がり、いつも一文字に閉じている口元。


見る人が見ればすぐに、あ、この人はこういうヒトだな。。と解かってしまいます。これにボディーランゲージも加えればちょっと話をするだけで相当な情報量が相手に伝わります。

人相占いなんかは、人の表情や行動から性格を読み取る、立派なスキルを使った仕事です。


また魅力的な顔と、奇麗な顔は日々混同されて使われますが、
世間一般に言う「奇麗な顔」というのは目や鼻や口の大きさ・配置のバランスが良いというデザイン的な一面で、「魅力的な顔」は、なんかうまく説明できないんだけど、恐ろしくこの人に惹かれる。というものだと思っています。

奇麗な顔をしているのに魅力がない人、奇麗な顔とは言えないが、すごく魅力のある人。例をあげろと言われればきっと誰もが2,3人は簡単にあげることができるでしょう。

そういう人たちは必ず内側にすごく素敵なものがあり、それが外に滲み出ているんですよね。だから魅力的。

葬儀場で働く女性の顔

エストニアに移住する少し前に、葬儀場にいくことがあった。
その葬儀場の担当の係りの女性の顔が今でも忘れられない。

これまでどれだけの悲しみを見てきたんだろう?
これまでどれだけの人の心を慰めてきたんだろう?

純粋にそう聞きたくなるくらいの表情の持ち主の方でした。

その人の顔をみただけでこちらが泣きたくなるくらいのたくさんの悲しさがその女性の顔には刻まれていました。

葬儀場では人の人生で一番悲しい場面を目撃することが日常茶飯事でしょう。大声で泣く人、すすり泣くように悲しむ人、人前では決して泣いてはいけない!と誓った人の無理をしている顔、そんな環境に毎日身をおけば、否が応でもその悲しみは共有してしまうのでしょう。

見かけが全てではなく、見かけに全てでてしまう。

そのことを肌をもって感じた経験でした。


ゲストハウスを運営していた時は、たくさんの人と出会いました、国籍の違い、肌の色の違い、言語の違いなど、異なることはたくさんあっても、すべてが顔に表れる。ということは常に変わりませんでした。

接客業を営む人なら誰もがわかってくれることかと思います。


ナショナルジオグラフィックの女の子

誰もが一度は目にしたことのある、
ナショナルジオグラフィックの「アフガンの少女」

そのあまりにインパクトのある少女の表情、「憑りつかれたかのような眼」は戦争により12歳にして難民になった彼女の心境をあまりに如実に映し出したかのような一枚だった。

ナショナルジオ史上でも5本の指に入るくらいのアイコンになったその一枚。

そんな彼女と17年ぶりに再会した。という記事がニュースに出た。

そして現在の彼女の写真は、その17年間に起こった出来事や彼女が通ってきた人生の過程がうかがえるかのようだった。

この一枚でこの写真を撮ったカメラマンは世界的に有名になった。

でも撮られた側の彼女の人生は何一つ変わらなかった。

世界的に有名なその写真自体もこの再会の時まで一度も見たことがなかったのだ。当たり前と言えば当たり前かもしれないが・・・

また注意書きをするとすれば、イスラム教の教えでは女性は夫の前以外で、見知らぬ男性に笑顔を見せてはいけない。とのことなので、写真に写っているのはどれも無表情に近いものばかり。これは彼女がそういう人間というわけでなく、家族の間では普通に私たちと同じように笑ったりジョークしたりする一面も必ずあるということ。

それでも、彼女の悲しみや、ボクたちが呆れるくらいに日々感じている希望というものを彼女は感じることができないのは彼女の顔から痛いくらいに感じることができる。

10年おきに撮る写真

まだ50歳になるまではしばらくの猶予がある。

いったい50になった時ボクはどんな顔をしているだろう?

どんな表情になっているだろう?

50歳だけとは言わずに10年ごとにきちんとした写真を撮るものいいかもなー。あとからみると成長の過程がわかるかもしれない。

noteでは顔出しされてない方が多いので、みなさんがどんな顔をしているかはわかりません。でもきっとみなさんがnoteで書いているような経験や感じた感情が顔にしっかりと刻まれているのでしょう。

○○さんはきっと優しい目をした人だろーなー
○○さんはちょっと頑固そうだけど面倒見のよさそうな感じかなー?
○○さんはきっと笑いジワがくっきり残るくらいたくさん笑う人だろーなー

なんてそんなことを想像したりしてなかったりしています。



あ、キモイとか言わないでくださいね。別に変な意味ではないので!!


人の人生・性格は、みかけに全て出る。きっとそうだと信じています。

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たろう@エストニア暮らし
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