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小説【間法物語】8 「あるがまま」と「なるがまま」

【間法物語】
日本語人が古来より持っている「魔法」がある。 それは「間法」。
「間」の中にあるチカラを扱えるようになった時、「未知なる世界」の扉が開かれ、「未知」は、いつしか「道」となって導かれていく。

「間法使いへの道」を歩き始める僕の物語。
【PROFILE】
イエオカズキ 「間」と「日本語」の世界を探求し続けるストーリーエディター。エッセンシャル出版社価値創造部員。

これまでの「間法物語」はこちら↓

間法物語8

「あるがまま」と「なるがまま」


サトルの家では、犬を飼っていた。

その犬は、小柄な褐色の雑種で、ある日、サトルの家に迷い込んできたまま、そのまま、居座ってしまって、もう数年になる。



犬の名前は、『海』。

そういえば、『海』は、オスなのか、メスなのか、サトルの家族は誰も知らなかった。



全ての生命は、海が生み、ハハのチチとチチのメグミで、イノチは育つ。

海に降る雨を、なめたことがあるだろうか?

その雨は、少し柔らかく、ちょっぴり温かく、ほんのり甘い。



海は、昔、とても自由だった。

サトルの家の庭は広くて、海は、その庭の番人のように、放し飼いのようなカタチで、飼われていた。誰にも干渉されず、自由奔放な海は、サトルの姿を見つけると、大きく飛び跳ね、寄り添ってきた。

サトルは、海に、気に入られていた。

エサをもらっても、地面に掘って埋めてみたり、マイペースで食べたり食べなかったり。
見知らぬ人には、気分次第で吠えたり、鳴いたり、無視したり。
元気のカタマリのような海が、サトルは、どちらかと言うと苦手だった。



あまりにも、うるさいということで、ついに海は鎖をつけられることになってしまった。

鎖をつけられてしばらくすると、海は、何だか人間のようになっていった。
ゴハンは出されたときに食べ、散歩に連れて行かれると、決まったところでお約束のように用を足し、知らない人が来ても吠えなくなったし、子供たちに石を投げられても、逃げ回って、怒ったりしない。海はいつも疲れているようで、よく眠るようになった。

近くに住んでいる、同級生のヒカルは、いつも、海と話をしているようだった。
帰り道に、サトルの家の庭に寄っては、海に語りかけている。
ヒカルは、哲学が好きなだけあって、いちいち話すことが説教くさい。



「サトル、最近、海、元気ないわよ。」ヒカルがそう報告してきた。


「何だか、働き疲れたサラリーマンみたいだよね。海は、遊んでいるだけで、何も働いていないのにね。」サトルは少し羨ましそうに言った。


「もともと、人間は遊ぶ生き物なのよ、昔の、海のように。私から見れば、人に、子供と大人の区別なんてないわけ。力が強くて意地悪するような男の子は、大きくなったら、今度は、権力や知識という力を盾にして、意地悪しているだけだし。先生や親に怒られるからと、嫌々、学校に通っていた子供は、大人になっても、今度は、上司に怒られるから、会社に通ったりしているだけ。そんなとこばっかり、子供のままで残ってるくせに、遠足に行く前にワクワクして眠れなかったり、海に行って楽しくて絶対に帰りたくないって駄々こねたり、そんなところは、すっかり、諦めちゃったりしているのよね。」


「わがままは、いけないって、さんざん、洗脳されてしまうんだろうね。」

「いつの頃からか、人間は労働する良き物になってしまのよ、今の、海のように。一度、仕えてしまうと、使われてしまう。子供から大人へ代わったり、遊びから労働に代わるタイミングがあったように。使えるから、仕えるに代わってしまうターニングポイントがあったのね。」

仕えると、使われる、海のように。

そのコトバは、サトルの耳にこびりついた。



「海はね、決して、働いてはいなかった。だけど、海には、ハタラキがあったのよ。鎖に縛ってしまっては、海のハタラキは、もう、働かないわ。」



サトルの頭の中が、急速に回転しはじめた。だけど、それは、新規開店するときの、晴れやかで爽やかなものではなく、蛇がとぐろを巻いて、グルグルグルグル回っているような、気を許すと酔っ払ってしまう回天だった。



労働することは、大人の役目。働くことは、人間の義務。

本当にそうなのだろうか?
人間も、ひとつの自然な生命として存在しているのに、生きていくことに、義務やら責任などが果たしてあるのだろうか?

海の元気のないスガタが、サトルの目には焼きついている。



子供は、遊ぶ。大人は、働く。

電車で見かける鋭気のない目をしたビジネスマン達の生気のない姿勢が、サトルの脳裏には浮かんでいる。何度も同じ問いが、サトルの頭の中に響いて、こだまする。
そのこだまが響いて、また、こだまになる。
こだまは、透明な音の球で、テレビゲームのピンボールのように、勝手にサイクル運動を繰り返す。



「働くと遊ぶって別のものだよね?」

こだまに、サトルは、想いを乗せてみる。


ハタラキを働かせることと、自分を働かせることは、同じようだけど、全く違うもの。ハタラキは、アソビとなって自由自在に、跳びまわることが出来るけど、働くは、労働となって、鎖に縛られ、決められたことだけをやることになるの。」

サッチャンが、そのこだまを、送り返してきた。



「働くことと、遊ぶことのバランス。自分のワガママに生きることと、自分のワガママを抑えることのバランス。」

生命とは、ハタラキを、活かして働かせること。

労働とは、ワガママを、抑えて働くこと。

ハタラキとは、ワガママに、生きること。



「ねえ、サッチャン。バランスについて、教えてよ。」

「バランス?」

「うん、バランスって何なのさ?」

「バランスは一瞬一瞬、変わるものだから。サトルが海から学ぶことがあるならば、海はサトルから手にすることがある。」

「それが、バランス?」

「バランスは、すべての中間に位置する場所、つまり、ゼロのこと。サトルが縦軸、海が横軸とする。そのふたつが交差するとき、そこにはゼロ地点がある。サトルのワガママと、海のワガママは、全く別。でも、対立しているわけではない。必ず、そこには、交わる場所がある。」

「僕が知りたいのは、バランスの意味なんだ。」

「バランスは、「場を乱す素」のこと。サトルと海の関係を乱すものは何か、考えてごらん。そこに、バランスはあるかもしれない。安定しているものを乱すのが、バランスだから。」

「安定することじゃなくて、乱すことって?バランスって・・・?」

「バランスは、「場の卵の巣」のこと。サトルと海のいる場所で、バランスを探してごらん。そこには、サトルと海にとっての卵の巣があるはずだから。」

「バランスは、何かを聞いているのに、これじゃ、余計わからなくなっちゃうよ。」



サトルには、サッチャンの意図がよくわからない。バランスについて聞けば聞くほど、全く違うコトバが返ってくるので、会話が成立していないのだ。


「どれかを選ぼうとしたって、サトルには、選べないよ。どれもサトルにとっては答えではないからね。」

「僕に答えが見つからないから、サッチャンに聞いているのに。何かヒントが欲しいんだ。」

サトルに答えがないのなら、どんなに探しても見つからない。だって、ないのだから。サトルに答えがあるのなら、探す必要はない。だって、あるのだから。



サッチャンのトーンが、厳しく響く。そんなに厳しいトーンではないはずだが、痛いところを突かれるときのサトルには、かなり厳しく聞こえてしまうだけだ。


「バランスがわからないなんて・・・こんなんじゃ、僕は、バランスジェネレーターには、到底なれないよね?あーあ。」

サトルはついため息をついた。


「なれないのなら、絶対になれない。だって、なれないのだから。なるのなら、なる必要はない。だって、なるのだから。」

「わかったわかった。僕の問いがズレていたね。」


サッチャンには、本音しか通用しない。
サッチャンは、サトルが、磨きに磨いた質問か、ぶっちゃけた本音にだけ、かなり気の利いたヒントをくれるのだ。



「バランスジェネレーターは、ワガママじゃダメかな?ワガママを貫きながら、バランスジェネレーターになれると、僕にとってはいいんだけど。

「バランスは、人工的なことじゃなく、とっても自然なことだよ。サトルの中にバランスは既にある。サトルと海の関係の中にもバランスはいつもある。ワガママであるとき、常に、そこには、バランスがある。目を開けたときのバランスにとらわれてはいけないよ。目をつぶったとき、バランスは必ずとれているから。」


「目をつぶった時に、バランスは必ずとれている?」


「世界で最も早く動いている乗り物は何だと思う?
それは、地球であり、人間なんだよ。
とんでもない速さで、太陽の周りを回っているのに、それを気づかせないために、脳という機能は、目を使って、安定装置を発動させる。安定とは、目を開けたときに、人がビックリしないための、仮定だ。安定は、安心というバランスに至る『過程』の、人間の『課程』でしかないよ。例えば、『家庭』とは、安心というバランスを学ぶための、ひとつのなかなかシャレた『課程』なんだよ。」


「バランスは、『あるがまま』なんだね。僕にとってのバランスは、『僕がまま』になることだ。つまり、『僕が、ママになること。』それが、バランスジェネレーターになる道なんだね。」


「それは、サトルの大切なヒントになるだろうね。」


サッチャンのコトバは、今のサトルにとっては、優しく響く。
そんなに優しいトーンではないはずだが、腑に落ちているサトルには、相当包まれている感じがしているだけだ。



いままで、サトルと海の間には、『ママ』がなかった。
『ママ』がなければ、アソビもハタラキも、どんなイノチも生まれない。

海からの一方的な関わりはあったけど、それは、『ママ』ではなかった。

サトルの『間』と海の『間』がつながって初めて、それは『ママ』になり、『バランス』というイノチが生まれる。
海は、ずっと、サトルの前では、「海がまま」でいてくれた。

今度は、まずは、家の庭で、海の前では、サトルが、『僕がまま』で行こう。

それは、サトルが、『サトルがまま』で、バランスジェネレーターになるための、大切な課程になるはずだから。


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バランスジェネレーターは、あるがままの世界を生む。


サトルは、バランスジェネレーターになる。


それは、サトルにとって、ママになること。


それは、サトルにとって、『海の母』になること。


それは、サトルにとって、全ての生命の『生みの母』になること。




(つづく)

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エッセンシャル出版社
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