【海上の森~うつろう森の刹那を見つめて】毒多さんの写真集を感じて
noteで親しくさせていただいている毒多さんが、写真集を出されました。毒多さんの写真をいつも拝見しているから、絶対良いものだと直感しました。それは我ながらベストな判断でした。数部しか作らなかった本を増刷してくださり、手に入れることができたのです。日本のどこかにひっそりと眠っている、訪れる人が自分だけの秘密の場所と心に留めているであろう、森の写真集です。
とにかく良かった・・・。自分のnoteで紹介したい! と強く感じ、今綴っています。タイトルに最初、「写真集を見て」と書きましたが、何か違う、「読んだ」でもない、そうだ、「感じた」だ。
これから感じたことを書いていきます。
毒多さんの写真には物語を感じる
一枚の写真を見て物語を感じるなんてことが、あると思いますか?私は本当に驚いたのです。
私の好きな写真を一枚紹介します。
深い森、光の届かない深部に芽生えた若木を映したものです。若木には一筋の光がさしています。
この写真を見たとき、こう思いました。
「なんていじらしいんだろう、なんて静かで力強い葉脈だろう。光が届かない場所で、光を求めて伸びようとする。一筋の光しかなくても、よく生きようとする人間の、輝いている面を映しているみたい」
毒多さんの写真集には、この写真のほかにも、里山の森の四季の姿が収められています。写真集は、森の風景、草花、虫、鳥、キノコなどで構成されていて、心象風景としての草花、虫もあれば、巻末に図鑑的意味合いで掲載されている写真もあります。
一枚目は、水面に映るシデコブシ。毎年は咲かないというおそらく老木の花は、灯りが消える前の一瞬の炎の輝きのような色があります。池の氷上に積もる雪野原。朽ち果てる獣の骨に舞い降りた蝶。生と死という単純な二極化ではなくて、写真集全体で、その間にいくつもの階層を感じさせてくれます。
毒多さんの写真にそえられた文章もいい
写真だけでなく「テキスト芸人」を自称する毒多さん。写真を見た後に、キャプションを見ると、ストーリーがさらに豊かになっていきます。
先ほどの、深い森、光の届かない深部に芽生えた若木の写真には、次のようなキャプションが書かれています。
「森の底で生まれ、森の底で育つ」
文章を読むと、この写真から感じたわずかな希望のようなものは、毒多さんの「そうでありたい、そうであってほしい」という思いから来たのだということがわかります。
また、写真集で私のお気に入りは、真っ赤な甲虫が葉の上から下を見ている写真のキャプション。「オオアカマルノミハムシ、奈落を覗く」。小さな虫にとって葉からのぞく下界はそんな風に見えるんですね。この写真から「奈落」というワードを繰り出すって面白い!
毒多さんは写真についてこう語っています。
こんなことはおこがましいかもしれないのですが、見る人を癒しながら、見る人へ届けと願うことで毒多さんも癒されているような、そんな気がするのです。
毒多さんのnoteには森をはじめとしたさまざまな写真が掲載されています。毒多さんが投げた小石は、私の心の泉にダイレクトに届き、水面を震えさせてくれるのです。
ここまで書いて、毒多さんに、「ちょっと褒めすぎです!」と怒られそうな気がしてきました。このnoteを見た人が毒多さんのnoteに殺到し、毒多さんが困るかもしれない・・とも心配になってきました。「こんなこと書いてもらっちゃ困るよ。公開しないで」なんて言われちゃうのかも・・・。どきどき。ただ本当に感じたことを私のnoteを読んでくださっている方に伝えたいのですよ。
さて、毒多さんてどんな人なの?って思う人いたでしょうか。実は私は毒多さんのプロフィールを知らず、知ろうと思わずにこれまでいたのですね。今回書くにあたり、毒多さんのnoteを探したのですが、見つけることができませんでした。でも、それでかまいません。私にとって毒多さんはこんな人です。
※こちらのnoteに写真集の中の何枚かが紹介されています。
※文中引用したnoteです。
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