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はじめて手に入れたサイン本-柳美里さんと私・②-

(承前)
 柳美里のサイン本は1999年の年始早々、粉雪がちらつく日に駸々堂書店で見つけた。たしか河原町通りに面した入口から一番遠いところにあるレジカウンターの横に三冊積まれていた。
 書店員さんの「サイン本、あります」と書かれたPOPと、これはうろ覚えなのだが、たしか柳美里さんの文字が認められた手のひらサイズの色紙も飾られていたと記憶している。
 田舎者のぼくは、それまでサイン本なるものがこの世に存在していることなど知らなかった。サインというのは売れているアイドルなり、有名人が色紙に書き連ねているもので、自分には縁遠いものだという認識だった。小説家にサイン? 物珍しさが心の奥からわき上がり、試しに一冊手を伸ばしてみた。
 柳美里の名前は聞いたことがあった。確か芥川賞か直木賞を受賞したひと。当時、そのていどではあったが認識はあった。(念のため書き添えておくと、柳美里は芥川賞作家で、辻仁成と同時受賞された。同時受賞されたお二方がいまも活躍されているというのは非常に希有なパターンだと思う)とりあえず、少し緊張しながら手を伸ばす。
 たまたまレジ横に置かれていたからなのか、当時はそういう時代だったのか判らないが、このサイン本はシュリンクされておらず、手にとってどんなサインか眺めることができた。いまではほとんどのサイン本はシュリンクされている。もしこの本にシュリンクされていたとしたら、いまの自分はなかったのかもしれないと想像すると恐ろしさしかない。
 初めて目にした小説家のサインはなんと毛筆であった。しかも著者の名前だけではなく、サインが書かれた日と、かんたんな一文が添えられていた。サインペンで書かれた、もしかしたら記号かどうかすら判別できないような代物を想像していた自分にしてみたら、その流麗な筆さばきは衝撃だった。(署名だけなら写真をアップできるかと考えたが、一筆の文言があると著作権の問題があるかもしれず、写真は表紙のみにしている。なにとぞ御容赦を……)
 自分が手に取った本のその下にはまだ二冊あり、幸いにも外の雪のせいかレジは閑散としていたので、もう一冊眺めてみることにした。そしてさらに驚く。なんと柳美里さんは、一文の内容を変えて、それぞれの本にしたためていたのだ。
 残念ながら、どのような文句が書かれていたのか、その記憶はない。しかし三冊見比べて悩んだあげく、「これ」と思えた一冊に狙いを定めた。とりあえずほしい。しかしバイトもしていない自分には、裏表紙に書かれた1700円の価格表示はかなり敷居が高い。そもそも当時はまだ大人向けに刊行されたハードカバーの小説に手を触れたこともなかった。せいぜい児童小説と、挿絵というよりは、漫画のイラストを彷彿とさせる主人公が描かれた表紙のノベルスが関の山だった。(いまは逆に漫画らしい表紙をした小説が増えすぎて、眺めていると若干、目がいたい)そもそも当時は単行本と文庫本の区別すら判らなかったので、大人向けの小説の敷居は高すぎた。それこそ高い山を見上げるくらいに。
 しかしその直前、学校で強制的に受けさせられた模擬試験で(補習用の参考書だったかもしれない)辻仁成の作品に触れる機会があって、珍しく問題を解くのも忘れてしまうほど没頭したのを思いだした。国語の問題にありがちな、これを書いた著者の気持ちや主人公の気持ちを答えさせられるのは苦痛でしかなかったが、そういう目の前の些事を超越させてくれる作品に触れていたことは、間違いなく気持ちを後押ししてくれた。もしかしたらこれは読めるんじゃないだろうか、そういえばこの柳美里さんは辻仁成と同時に文学賞を受賞されているから、もしかしたらおなじくらいおもしろいのではなかろうか。いま思えば作品のテイストは全然違うので、その思考にはあきれてしまうが、当時は当時なりにない頭を使い、そう考えた。
 あとは予算である。すくなくとも1000円、帰りの交通費は残しておかないといけない。しかしこれを逃すと、もうサイン本なるものはお目にかかれないかもしれない。
 悩んだあげく、次に京都に来たら買える可能性が高いスペイン語の本をあきらめ、柳美里の毛筆に誘われるまま、サインが書かれた『ゴールドラッシュ』を手に取った。
 とりあえずサインが珍しくて、帰りの電車では何度もその文字を追いかけていた。帰り道にどんどん強くなる雪も気にならないほどだった。
 初めて買ったサイン本だからだろうか、思い入れが深く、その後の人生において引っ越しの蔵書整理のたびに、手持ち無沙汰になるたびに本棚から取りだしては、彼女の文字を眺め、したためられた一文に思いをはせた。
『ゴールドラッシュ』がどんなストーリーで、どんな感想を抱いたのか、その部分は残念ながらほとんど記憶にない。ただ14歳の少年が主人公だったので、気負っていた割には読みやすく、読破したことは間違いない。ラストシーンの動物園の、荒涼とした空気感はいまでも思いだすことができる。
 そしてこの本を読破してから大人向けの小説にたいする抵抗感が、さらに薄れたことは間違いない。(実際、そこから芥川賞に興味を抱くようになり、柳美里と辻仁成は京都に行くたびに文庫本を買っていた)芥川賞や直木賞やサイン会にのめりこむスイッチはいくつかあるのだが、児童小説くらいしか読んでこなかった自分を、本格的な小説な世界に誘ってくれたのは、間違いなくこの『ゴールド・ラッシュ』のサイン本である。
 しかし本を読んだら内容を必ず記憶に刻まないといけないものだろうか。
 この本のあの部分、こんなところがおもしろいと紹介するSNSも最近は多いらしい。何事もコスパが優先され、たくさんの並べられた本を眺めてこれと思う出会いを求めるよりも、おもしろいのはこれといわれてから手に取り、おもしろさを共有するというのが最近は迎合されるようだ。否定はしないが、当時の自分がコスパ重視の人間なら、間違えても柳美里と出会うことはなかっただろう。
 しかし本の内容を覚えていなくても、柳美里の『ゴールドラッシュ』にまつわる思い出を自分でも驚くほど書き連ねることができる。そして当時の京都の町の空気、雰囲気までも想起させる。
 それも本の値打ちではなかろうか。
 それは図書館で借りる、誰かに勧められるがまま読むなどではとうてい味わえない種類の感情だと確信している。効率は悪いかもしれないし、若者には「なんて面倒な」と思われることは請け合いだが、それでも効率の悪さの先に味わえる情緒はあると考えている。なるほど、サイン会にとらわれなくても本と私の思い出を書き記せば、それはそのまま自分の生きた証になり得るかもしれない。
 高校生だったこの当時は小説家に会いたいと思うことはなかった。そもそも小説家は遠い遠い世界の人間である。そんな人間は、こんな田舎者なんか相手にしないだろう。そもそも自分はそんな有名人と会うことはないだろうと、『ゴールドラッシュ』を読んだときは感じていたと。……いや、そもそも本を書く有名人に会うことなんて考えていなかった。
 柳美里の作風は決して明るいものではない。特に思春期に受けたいじめの凄惨な記憶は、作品のそこかしこで息吹いていた。それは当時、学校になじめずにいた私の心にも共鳴していた。自分で自分を刺しかねないような、鋭利な言葉の持ち主だから、きっとものすごく怖いひとなのだろう、笑わないひとなのだろうと漠然と考えていた。言葉のナイフではなくて、なにか違うものが出てきたらどうしようかと、当時の自分は読みながらそんなあり得ない恐怖に震えたこともある。柳美里さんには失礼甚だしいが、そのくらい、彼女の作品の言葉は鋭かった。だからこそ、読解力が欠如していた人間にも言葉は刺さったのだ。
 それから彼女は長いあいだ、新刊が出ると買うという数少ない作家の一人という地位に君臨していた。鋭さ以上の共鳴がそうさせたに違いない。そして『小説家』でありながら、それこそ舞台で演じる役者のように『柳美里』を全身で体現していたように感じられたのが大きい。
 余談だが、紆余曲折の末、彼女がものすごく怖い人なのかどうかその答えが判る日が、およそ10年後に来ることをもちろん当時のぼくは知らない。
 それはまた、別の機会に。

                                                                                                     (完)


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